ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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美しい布

美しい布を求め続ける私。

ふと私は着物が好きで飽きもせず染めたり織ったりしているのだろうか?と立ち止まって考えてみた。

しかしどんなに気に入った着物ができても自分で着ることはない。

女性をきれいに見せるために考案し悩んだり喜んだりしているだけである。

それで得たお金で私の家族や社員とその家族と職人の生活が成り立ってきたのだから、

立派に世間に自慢できる話である。

要するに私は着物が好きなわけではなく「布」が好きな人間だと合点がいった。

世界中の古いものから新しいものまで美しい布を見てきたたが、日本に勝る布はない。

日本人の本来持つデリケートな感性か四季の変化がもたらしたものか、

遺伝子に組み込まれたデリカシーか非常に細かいところに神経を行き届かせる能力が日本人に備わっていることだ。

ところが最近の多くの若い女性は深い所のデリカシーに欠け短絡的な判断で済ませてしまうのでは無いかと心配する。

物を深く見ないで直感で「かわいい」で判断する。

また、らしく見えるように作り方がより巧妙になってきた。

コンピューターを駆使してどんなに複雑な構図の物でもそれらしく作り上げてしまう。

その巧妙な作品に飛びついてしまうと、並んでみるとどれもこれも似たり寄ったりの物が並んでしまう。

時代がそうさせるのだから文句を云ってもしょうがない、時代と共に移り変わっていくのが世の常である。文化的には最悪だ。

スキーの思い出

今年の京都はまともな雪は降らなかった。

若い頃は雪が降り始めると信州のスキー場へ早々と、飛んで行った思い出がある。

大学の頃は授業もサボってスキーに場に行った覚えはあるのだが 滑っている途中で雪から雨に変わると

スキー場の積もっていた雪が溶けてスキーの板を脱いでホテルまで歩いて帰ったこともあった。

ホテルではアルバイトしたり初心者にスキーを教えてホテルの宿泊費用を捻出したりとすると

リフトの搭乗が顔パスで無料になるから、たまらない嬉しい特典もあった。

スキーは小学四年生から始めた経歴の持ち主だが、

板を二本折ったくらいで幸い大した怪我もなく今日まで来られたのは幸運であった。

そのスキーがマイナーになって主流はスノーボードに変わってしまった。

今からスノウボードを始める気はないがこれが世の中の変化という事である。

スキーの醍醐味は機械を使わずスキーの板とストック二本だけで雪山を駆け降りるスリルがたまらない、

新雪が降ると自分のシュプールで腰まで雪に埋まりながら滑るダイナミックさがたまらなく爽快だ。

あれは確かゴールデンウィークに家内とスイスへ行った時、これがチャンスとレンタルの靴と板でアルプスを滑った、

スタート地点の頂上は標高3320mで全山ゲレンデだから方向を間違えるとイタリアにもフランスにも行ってしまう、

そうなると宿泊しているスイスのホテルには帰れない。

さすがにスイスアルプスは規模が違うと感心したり、現地の人らしい親子を追っかけて無事にホテルに帰れてホッとしたこともいい思い出だ。

摺箔の画材に悩む

順調に制作を続けてきた摺箔モチーフに悩んでいる。

最初に浮かんだ「波」と帯にした「雲取り」が、あまりうまくいったので、

まだまだ念じれば、名作を作れると安易に思っていたが、なかなかうまくいかない。

現在「金龍」を製作中だが出来栄えを案じている。

本来が室町時代末期に登場して50年ほどで消えてしまった技法だけに違った時代の柄に使うと違和感が出てしまうのであろうか、

その時代が生んだ技法はその時代のモチーフにしか合わないのだろう。

先日も金と銀だけでは無理があるから、岩絵具を併用したものを試作してみたところ金の強さに岩絵具は完全にうちまけてしまった。

最後の「土」は「極楽浄土」を目指しているが海の彼方に浄土の眩しい光が輝き、その輝きに向かって蓮の海が一直線に伸びているという構想を抱いている。

下地となるぼかし染は素晴らしい出来なのでなんとか自分で納得いく作品にしたい。

悩み続けている難題の「火」はギブアップになりそうな気配である。