ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

柳橋図

 

江戸時代初期、俵屋宗達や狩野永徳らが活躍した時代、もう1人の画壇の主役「長谷川等伯」とその工房で作られたのが「柳橋図屏風」である。

 

絵のモチーフは名前の通り柳と橋を様々な角度で表現した当時のヒット作である。和室だけで構成されていた町家、屋敷は屏風と言う間仕切り兼、装飾品を大いにもてはやしたらしい。現在の日本では、屏風は嵩張って敬遠されがちだが、海外の富裕層は屏風を全開した形で、壁面装飾として愛好する人達が多くいると聞く。

 

私は、その柳橋図を着物で作り始めている。結構大胆な構図になるので着る人を選ぶことは承知しているが、世間ではあまりこう言う着物を着ている人は少ないだろうから、かえって面白いのではないか?

 

「京都の八百八寺」と並んで、浪華の「八百八橋」と言われるくらい大阪は橋の多い街で、イタリアのヴェネチアのようであったとも言われる。東京には「柳橋」という地名も残されているが、粋な歓楽街として名を馳せた町である。遊郭の出入口「大門」の脇には「見返りの柳」が付き物で享楽的な匂いがする。江戸初期もこの時代くらいになると狩野派や土佐派が得意とする硬派なモチーフから離れ、世俗的、粋なものが描かれるようになった。それは購買層が武家から商家へと富の移動が起こっていたのではないだろうか。

「お金」について

このブログは「Money」のことで「Gold」の話ではない。

先日読んだ、ベストセラー本では「お金」も「宗教」もフィクションであり、みんながそれを信じているから、人間同士が集団を作ることができるようになったと著者は言う。

宗教がフィクションか、そうでないかと問われたらフィクションではないと信じているが、お金に関しては著者と全く同意見である。私の知る限り、日本では、つい20世紀までお札は「Gold」と交換できた、いわゆる「金本位制」であった。しかし、現在世界中のお札は「Gold」と交換できない。「Gold」が欲しければ金市場で相場の価格で買うしかない。つまりお札は単に発行した国家がその価値を保証するだけのことだからフィクションである。

それが証拠に、つい最近インドで500ルピー札が廃止になり、決められた期限までに銀行に持ち込まないと使えないと国が公表した。不正蓄財やワイロをあぶり出そうとの狙いである。

小話に「一万円札は寂しがり屋」で大勢集まっているところに飛んで行きたがる、だからお金持ちのところに集まりがちで1、2枚しか一万円札を持たない人はすぐに飛んでいってしまうという。つまり貧富の格差はどんどん広がる比喩である。だから「お金持ちになりたかったら、まず沢山一万円札を持たなければならい。」というのが「落ち」である。

私の考えは「生きているうちお金を使って楽しめばいいのではないか主義」である。念願のものを手に入れた喜びはあの世では感じることはできないだろうと思うから。

躊躇せず、作りたいものを作る!

物作りで一番悩むのは「こんなものを作って買ってくれる人がいるのだろうか?」と躊躇してしまう瞬間である。

贅沢に作りすぎると「値段が高くなりすぎて買える人がいるだろうか?」と自分にブレーキをかけることも再々あった。そんな時、顧客の顔を頭に浮かべると、その人に似合いそうなものについ落ち着いてしまう。と言うのも、若い頃は物作りに自信があるようで無いのが普通で、どうしても妥協した物になってしまいがちだ。

 

私の立場は、染織アーティストであると同時に商人であるがゆえ、余計に悩むのである。しかし、子曰く「70歳にして、心の欲する所に従えどものりをこえず」というから、私も70歳になった今、思うがままの行いをとっても自然の法則から外れることのない、悟りの究極を体得したというはずだ?、、、。

 

その言葉を信じて今では躊躇せず、作りたいものを作ることに徹している。どんな仕事でも楽な仕事はないが、着物や帯を自前で作るのは難しい仕事であると同時に「京都」に在住していなければ、まず不可能である。

 

染め職人、織り職人や糸染め屋、機(はた)材料屋など多くの下職の人々や技術は京都にしかないのだから、それらの職人の協力を得て始めて物作りが可能になる。こんな恵まれた境遇に自分がいるのを忘れがちだったが、今では自分の作りたいものを存分に作れる喜びを噛みしめている。