ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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コロナ禍の2020年6月5日(今後の記憶の為に)

非常事態宣言が解除されて一週間、マスクの着用はほぼ実行されて、日本の発症者は一日60人程度。

ソーシャルディスタンスという、人との距離を2m空けるルールも公共機関では概ね守られている。

飲み屋街の自粛は6月1日に解除されたが、まだ賑わうほど人は見かけない。

家賃を払って店を経営している人たちはどしているのだろう、他人事でも気にかかる。

私のよく行っていた店ではカウンターと女性たちが働く内側とはアクリル版を設置しての

コロナ対策をして営業しているらしい、所謂3密になりたくて飲みに行くのに客はマスク、

女性はアクリル越しでは洒落にもならない。

大型店は入場制限をして検温とアルコール消毒を実施しての入店となっている。

TVや会社の働き方はオンラインが中心となって新しい通信機器業界が盛況だ。

それにしてもアジアの国々の死者数は欧米に比べると二桁違っているのは不思議だ。

ミャンマーなどは今日現在で死者は「0」と言うのは、どう言うことだろう?

医療体制が脆弱そうに見えるのだが?。

数年前車椅子をミャンマーの病院へ寄贈するために彼の地を訪れたが、古いロシヤ製の手術台が最新機器として鎮座していたのを思い出す。

私の主治医の意見によると東アジアの人種は過去の歴史でコロナに類似したウイルスに感染してきた記憶が遺伝子に組み込まれているから欧米のアーリア系人種よりも耐性があるとのこと、本当だろうか?

いずれその答えは出るであろう。

現在南米、インドあたりが感染の中心になっているが、死者、患者数が一番多いのは米国である。

各国とも新規感染者が多く発生するにもかかわらず経済優先の開放を計っている。

感染の第二波、第三波を警戒しつつも用心深く人々は動き始めた。

「死者の書」を読む

奇怪な小説「死者の書」を読む。

そもそも「死者の書」とは古代エジプトにおいて死者が霊界に入るための手引書らしい。

この名をタイトルとして「折口信夫」が書いた小説がこれだが、この著が20世紀に書かれた小説だと誰が信じるであろうか?
まるで古典文学の授業のテキストの様な文体、内容である。

筆者、「折口信夫」の死生観と奈良朝の生活風習を古文体で書いた様な難解な書には「池田弥三郎」(慶應義塾大学教授)の注釈が添えられているにもかかわらずストーリーが見えてこなかった。

時代は奈良に都があった時代だから奈良朝時代初頭と思われるが、藤原氏南家の姫を巡って「二上山」の上に現れる「阿弥陀如来」が主題になっているが、当時の生活風習と折口氏の宗教観が複雑に絡み合ってストーリーが展開されるので、話の前後が良くわからず理解し難いのである。

ただ一部に「蓮」の繊維を作り、機織りする場面が登場する。

この下りがなければ途中で読むのを放棄していたであろう。

私もミャンマーで蓮の糸を作る現場を見てきたが、奈良時代の蓮糸作りの方が緻密で手間がかかっているとみた。

ただ小説の一節だからどこまで信じて良いのか疑問だが、蓮糸を細い繊細なものにするには滝の澱みに漬けては乾燥させを繰り返し、後に細く割いて細い蓮糸を麻糸をつなぐ手法でうむ(績む)とある。

この言葉は現在でも麻糸を作る現場では使われているから信憑性はある。

さらに注釈には染めには「摺染め」、「持ち染」、「浸け染め」が出てくる。

織り上げた布の染め仕事は家庭の女たちが行った。

「型を当てて摺り出す染め方」、「染め汁を持った草葉を当てて持って染め出す方法」、「染め汁の中でずっぷりとつけて染める方法」などと言い分けている。

このように奈良時代にも上記の様な染め技法が行われていた事は興味深い。

しかも「唐土でも天竺から渡ったものは手に入りにくい蓮糸織を遊ばすというのじゃもののう」と蓮糸の上物はインド製だと言う。

また麻糸の生産も行われていたようで後世、「奈良晒し」と呼ばれ奈良の特産品となったように思われる。

染色について紫を染める「紫根」と赤を染める「茜」はいい色が出ないのを「韓人」の指導によってうまく行くようになったともある。

古代染織史を辿ると奈良朝時代から女性の手仕事として広く染織がされていたのは事実であろう。

だがこの「死者の書」は折口氏が目指した究極の恋愛小説だと解説者は述べる。

そうだとすると余計に私には理解不能な奇怪な小説になってしまう。

商業主義に偏った物づくり

最近また「辻ヶ花」の事を雑誌社や消費者に尋ねられることがある。
確かに以前から私も江戸時代のものより室町、桃山時代の裂の方が好きだと言ってきた。
じっくり理由も考えずに直感で主張してきたのだが、最近「はまっている」摺箔を研究していくと、

室町時代が日本の染色の萌芽期にあたると気づかされた。
日本固有の和文化が大成されたのは平安時代である事には依存はないが、物証が無いから想像するしかない。
こと染色に関しては矢張り熟成度からして室町時代が最高の時代だと思うようになった。
その訳は漢字が平仮名の元となって出来たように、

平安時代の文様も奈良時代の唐風を和様化した程度のことであろうと推測する。
摺箔にしても辻ヶ花にしても爛熟した物証が現存するのは室町末期だから、

それより古い時代には感激する様なものは無かったかも知れない。

それが江戸期に入ると突然魅力がなくなるのは何故だろうか?
私の結論は江戸期に入ると商人の懐にお金が集まり、それを狙って染物屋が売れるものを大量に作り始めたから

「売らんかな」意識が前面に出てしまうのが作品の魅力を無くす原因になったと推量する。
江戸期に入った着物や帯は形も技法も現代のものと何ら変わらない。

それに比べると室町、桃山の物は職人が楽しんで作っている感じが伝わってくる。
時には豪快な即興的模様を配置、時には繊細すぎるくらいの細い線を根気よく描く。
時代背景は明日の命も確かではない混沌の中で精一杯やろうとする人間の気迫が感じられる。

今の平和な時代、急にウイルスに命を脅かされる突発事故が起き、死生に直面したとしても、危機感が日常となって暮らしていた室町時代の人々の熱気とはレベルが違う。
そして平和を願う現代社会は危機が去れば、また商業主義一辺倒な物作りが再開するだけである。
資本主義は金の魔力で人を翻弄し、人をさらに強欲にしてしまう。