ぎをん齋藤
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呉服問屋の着物離れ

京都は空前の観光ブームが続いている。昨年度のインバウンド数が5300万人を超え、使われた費用が1兆3000億円と大変な金額に登っているという。

 

このチャンスを逃したく無いと、資産家の呉服問屋は本業を縮小してホテル業への不動産賃貸に業態を変化させていると聞いた。確かに業界の先細りに商品投資をするよりも、確実に収入につながる賃貸業に転身したくなる気持ちも分からない話ではないが、何か寂しい想いがする。

 

 

彼らはそれでいいとしても染織一筋に生きてきた材料店、職人たちはどうなるというのか?

このような道筋を経て多くの伝統産業は姿を消していったに違いない。清水焼に代表される京都の陶磁器業界も同じ道を辿っていると聞くが、食品関係の老舗や新興の店は健闘しているとも聞いている。

 

残る業界と消える業界、これらが入り混じって京都という街の性格を変えていくのであろう。ただ京都人の持つ繊細でおくゆかしいマインドは受け継いで行って欲しいものである。

直接指導

社員へ物創りの直接指導を始めている。どの程度、かれらに有効か予測出来ないが、私が自己流で身に付けたノウハウを伝授するのは知識の伝承という人間らしい営みだと思っている。

 

例えば、1枚の裾模様を作ろうとすると、資料となる古裂のコピーを元に舞台の背景を作る。この大道具役はぎをん齋藤で30年以上、下絵を依頼しているM君で、原寸大の紙草稿に鉛筆でザックリしたラフスケッチを描かせる。

 

 

それを仮絵羽した白生地と共に引き染め屋へ運ばせ、私が選んだ色見本通りに地色や舞台となる背景の「山」や「川」など、「ぼかし染め」を加えて染め上げる。

 

今度は配役である。主役を誰にするか?千両役者のような大看板に依頼するか、若手の気鋭にするか。つまり「総刺繍」の高価な技を使うか、「友禅」のような一格下で場面が持つか、想像を巡らせるのである。主役が決まれば脇役、その他の者が主役を引き立たせる演技をさせればお客は満足するであろうと算段する。

 

 

きものは裾模様のもばかりではなく、付下げなど気軽なものもある。それを舞台に例えれば、大看板が一人芝居をするのか、端役連中が大勢集まって構成するのかの違いだと教えている。結局、お客様に木戸銭よりも面白かったと納得させればいいのかと思っている。

銀座、師走展

銀座「かねまつ」での師走展も8年目、毎年、大勢の来場者で賑わう会だが私は欠席がちな、ここ数年である。

 

今年のテーマは「黄金の世界」である。ブログでも書き綴っている通り、黄金に魅せられた私は「銀」や「雲母」も加えて友禅染では味わえない世界をご覧いただきたいというのが眼目である。

 

日本の美術史上「近世」と呼ばれる桃山時代から江戸初期、本阿弥光悦と俵屋宗達が絶妙な筆さばきと華麗な金銀箔の木版絵を作り上げ、完成させたのが「和歌色紙」だが、それにも「本歌」が存在する。「本阿弥切」と呼ばれる「小野道風」の筆だろうと思われる和歌集である。

 

 

ご覧の通り、そこには「雲母」や「金泥」で描かれた笹や蔦など後世、宗達が得意としたモチーフが描かれている。このように「本歌」と「写し」の繰り返しが日本美術史を形作って来たのである。

 

新しいものを作る上で、古い良いものを手元に置いてヒントを得るのが大切で、ゼロから何かを生み出すことは難しい。

 

私自身、古裂コレクションからどれだけのヒントを得て来たか計り知れない。まして金や銀の工芸利用の歴史は古く仏教美術、漆芸、刀剣、染織など枚挙にいとまない。それらをヒントにして新しい金、銀の世界を私は展開したいと考えている。