ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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風が吹けば桶屋が儲かる

この古い諺をご存知だろうか?

辞書によると「風が吹くと土ぼこりがたち、それが目に入ることで盲人が増える。盲人は三味線で生計を立てようとするので三味線の需要が増える。三味線には猫の皮が張られることで猫が減る。猫が減るとねずみが増えて、ねずみにかじられる桶が増えることから、桶を売る桶屋が儲かって喜ぶ。」と言うわけである。

笑い話のようだがよく真実を伝えていると感心している。

このたびのコロナウイルス禍では20世期初頭の「大恐慌」以来の経済の落ち込みと政府は喧伝している。

確かに未曾有のインバウンド隆盛期に突然コロナ問題が発生したのだから、インバウンドを当てにした投資は完全に当て外れで宿泊施設は完成した途端、開店休業状態のホテルが我が新門前通りにもある。

あの金持ちで有名なトヨタ銀行と揶揄されるトヨタ自動車でも銀行に一兆円の融資枠を要請したくらいだから尋常では無い。

これから多くの会社のコロナ倒産の発生が予想されるが、中にはこの時期に大きな利益が転がり込む企業もきっとある、勿論、大勢の罹患者が亡くなっている時に口が裂けても「儲かっている」とは言えないだろうが!意外な会社が「桶屋」にちがいない。

今流行りの「テレワーク」関連の会社などは「桶屋」の代表だろうが食品関係などもその中に入ると見込まれる。

だが我々アート系の産業は、災害や経済危機には残念だが弱い。

平和であって初めて成り立つ仕事である。

この騒ぎが一段落するまで維持できるかどうかは会社の体力勝負になると思われるが、「ぎをん齋藤」は幕末動乱、日清、日露戦争、第二次世界大戦、リーマンショック、と耐えてきたのだからきっと乗り越えられると信じている。

新型コロナ菌は天からの警鐘?

目下日本中を震撼させている新型コロナ菌はあっという間に世界の多くの人命を奪いその脅威も一向に衰えない感染の広がりをみせている。

元号が改まった、おめでたい令和の実質的元年とも言える今年の一月から噂に登り始めたと思ったら、あっという間に世界中に広まり、高齢者、貧困者を中心に多くの命を奪っている。

色々な動物の持つウイルスが人へと感染するタイプに変異して新型コロナ菌になったと言われている。

この被災者を救済するために日本政府は108兆円規模の予算を計上するという。

消費税をわずか2%を値上げした、あの時の騒ぎはなんだったのか?

今度のコロナウイルス騒ぎは人類に対する天からの警鐘だと私は思っている。

人類は地球上に77億人も生息し、地球環境を急変させている。

多くの動物が生息する森林を破壊し、二酸化炭素を排出して地球温暖化を促進させている。

それでいて、なおどこかの国のように自国第一主義を叫ぶとは天を恐れぬ所業と非難されても仕方ない。

1918年に起こったスペイン風邪(スペイン インフルエンザ)では日本の内務省統計では日本人約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されている。

ウイルスと一口に言っても大腸菌のように人にとって有用なウイルスもあるわけだから一概には悪視するわけにはいかない、今回のコロナウイルスにとっても種の繁殖を目指して変異し続けているに違いない。

この100年ぶりのウイルスの反抗は人類への警鐘だと捉えている。

人(国名は名指ししない)はもっと地球規模で寛容にならなければ未来は危うい。

摺箔梵字「観世音菩薩」

作品番号#4の「摺箔梵字」額装が仕上がった。

梵字とはサンスクリット語で古代インドで用いられた言語である。

今回の文字の意味は「観世音菩薩」、私の守護菩薩である。

まだ仏様になる前の修行僧のような身分で、

人の痛み、苦しみを取り除く役目をする為に阿弥陀仏より差し向けられるとされている。

仏教では仏の世界で頂点に立つのは「大日如来」でその身代わりが「阿弥陀仏」とされている。

よく知られている「南無阿弥陀仏」の「南無」はサンスクリット語の「namo」を漢字に当てはめたもので「あ〜」という意味である。

死後の世界で大日如来が座す極楽浄土へ行く為に人は修行をしたり、お題目を唱えるわけである。

また、いわゆる「お迎え」が来るというのは、「観世音菩薩」が死に瀕した人を極楽へと迎えに来るというストーリーである。

信じてもらえないと思うが私の体に「観世音菩薩」が入っていると感じている。

こんなことがあった。

去年入院した時に内視鏡が食道を通らなく、一度拡張して一週間後に再度、内視鏡を医師が試みた際、

私は胃の中から内視鏡が胃の噴門部から入ってくる緑のライトを見ていた。

内視鏡を逆視し、モニター画面を眺めていた医師が「入った、入った!」と、

二度叫んだのを後日、その医師から確認したら驚いていた。

それは兎も角、

今回の#4は蓮の花の上に座す「観世音菩薩」梵字の額装作品である。

60cmx70cmとやや大きい目の額である。

屏風では大きすぎて使い勝手がよくないと指摘されそうなので額装に挑戦したのだが予想以上の出来に満足している。