ぎをん齋藤
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「文鎮」のような立場

いよいよ来年7月には代表取締役を退任するが、その後どう生きようか思案している。

会社には毎日元気なうちは出社したいが、あれこれ指図をすると今とちっとも変わらない、かといって何も言わないというのも不自然だから身の置き所が難しい。

そこで考えたのが「文鎮」のような存在はどうだろう。

「文鎮」とはご存知の通り習字をするとき半紙が筆の勢いでずれてしまわないよう置く文具である。

鉄か鉛でできているので大きい字を書くには、絶対必要なものである。

つまり口は出さないが存在感のある立場になるのが一番かな、と考えている。

その内、書き手(若い社員達)の腕が上がると文鎮は必要なくても綺麗な字が書ける。

その時は文鎮はお払い箱になればいい。

まあ、もう少し時間があるから考えてみよう。

命の価値

行きつけの歯科医の診療を受けるために「南座」の隣のビルに赴いた。

陽射しの強い昼下がり、信号機が赤に変わったので、立ち止まって青になるのを待つ。

ふと足元を見ると結構大きな、動きの速い蟻が一匹、四条通りの車道を足早に動いていた。

四条通りは最近の観光客増で車の往来も激しく歩道ギリギリに走る車が多い。

オヤ!と思って見ているとその蟻は車道中央に向かって歩き出した。

危ない!と思った瞬間、市バスの大きなタイヤに踏まれてしまった。

死骸でもあるかなと探して見たが、見当たらない。

きっとタイヤに圧着されてしまったのだろう。

彼にも親、兄弟があったはずだが、誰も悲しんでいる様子はない。

市バスの運転手も罰せられない、ただ一つの命が消えただけ。

人間は、蟻や蜘蛛などの死は気にも留めない人が多い、ましてゴキブリや蚊などになると死殺する薬品のTVコマーシャルを堂々と宣伝する一方、野鳥などを取ると鳥獣保護法違反で罰せられる。

同じ人間同士でも南スーダンで子供が大勢餓死していると報道されると救援を呼びかける程度のことはあっても、これが日本国内で子供が餓死すれば扶養義務違反もしくは児童虐待で大きな社会事件として取り上げられ事になるだろう。

このように人命の価値でさえ時と場所とで大きく変わってしまうのだ。

それじゃ、どうしろというのか?

と問われると私には明確な答えがないが釈然としない。

呉服屋が染織アーティストになった。

例の摺箔屏風「金銀波濤図」が小田原文化財団の永久保存作品として所蔵されることになった。

半双の銀波もようやく完成し、予想していたより深い、静かな迫力にダークグレーと銀の取り合わせがいかに素晴らしいかを再確認した。

イヤー!我ながらいい出来である。

「摺箔」という技法をもとに私がデザインした波の屏風を杉本博司氏が美術品として認定してくれた瞬間である。

私の夢であった日本の染織技法を用いて衣類から芸術品に昇華したいとの一歩は確実に達成されたと言って良い。

また同時に老舗の呉服屋がアーティストになったという瞬間でもある。(笑)

今後は2作目、3作目を完成させ、いよいよフランスでの評価を経て、日本の染織品を世界文化遺産登録という夢に向かって進みたい。

ぎをん齋藤の社員標語に「希望は必ず達成する」と記している。

勿論私自身が書いた言葉だが、生きている間にどこまで目標に近づけるか試してみたい。