ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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コロナ禍の銀座展示会

やるか止めるか、散々討論した末の開催決定である。

会場の「銀座かねまつホール」にも他から申し込みが殺到しているので日程のわがままは通らない。

結局7月17、18日の両日に展示会開催が決まった。

私は勿論、留守番役だがきっと会場の様子が心配で落ち着かない日々を過ごすことになりそうだ。

新作は「羽衣」と名付けた透けた「紗」をベースにした生地を二枚重ねた全く今までにはない新しいコンセプトの薄物である。

2年ほど前から試作を試みてきたが希少な生地で試作もままならない状況だ。

また「御所解」を現代の色合いで染めた新作や「摺箔」の新柄も出来が良い。

予想もしないコロナ禍でも「ぎをん齋藤」は職人の生活を守らなければならないが、かと言って何でも仕事を出してやればいい訳ではない。

視界不能な現況下で考えられる全ての中から最善と思われる手段で対応していくしかない。

会場での感染防止の方法や人数制限をどうするか?など担当する田中も戸惑っている。

私などは所詮「なるようにしかならない」と承知しているが、そこまでスッパリと腹を決めるのは若い人には難しい。

まあ気分転換に銀座にお出かけの方は是非お立ち寄りください。7月17、18日です。

人生を考える

毎日続ける1時間の散歩で考えるテーマは「自分て何者だろうか?」が一番多い。
勿論日々の生活の問題や悩みも考えるが、自分の人生の過去、現在、未来について考えることが多い。

そもそも「齋藤貞一郎」という名前を与えられた人間として生まれたのは勿論この世の偶然であったろうが、自我に目覚め、自分以外の人間と比べることができるようになってから、余計に「自分て何者だろうか?」と考えること多くなった。
歳を加えるほど、その疑問は大きくなり一向に答えから遠ざかるような気がする。
日本人として生まれ育つ中で生き方や美意識が備わり、知らず知らず特性や短所が身に付いてしまう。
同じ日本人と言っても育つ環境は大きく違っているのだから人それぞれの見方、意見が異なるのは当然である。
ただ遺伝子が近い配列になっているのだろうか?同じ国民どうしの「阿吽の呼吸」というのはあると思う。
我が国は飛鳥時代の昔から仏教立国を目指した時から人は死んでも「輪廻転生」、何かに生まれ変わると信じられて来た。
ただ功徳を積んだ人だけが輪廻転生を免れ極楽浄土で永遠の安らぎを得られるというのである。
故に自分が来世、鳥や虫や草花に生まれ変わるかも知れないから、優しい目で生き物を見るのが当然であったような気がする。
森羅万象、命のあるもの全てが「和をもって尊しとする」という聖徳太子の言葉は日本人の精神的支柱となったと思う。
この調和精神は優柔不断と誤解され欧米から指摘され糾弾されることもあったが、西洋式の「All or Nothing」が良いのかというと私は決して良いとは思わない。
話の方向がずれてしまったが私にとって過去、現実は理解しているが死後の世界に興味があるのだろうか?
身体は灰になっても魂、思念は生き続けるのか?
何か宇宙全体を秩序づける法則があるような気がするが死んでみないと分からないという事だ。
昨日の散歩で見かけた川で無心に遊ぶ子供たちに幸あれと祈る思いだ。

コロナ禍の2020年6月5日(今後の記憶の為に)

非常事態宣言が解除されて一週間、マスクの着用はほぼ実行されて、日本の発症者は一日60人程度。

ソーシャルディスタンスという、人との距離を2m空けるルールも公共機関では概ね守られている。

飲み屋街の自粛は6月1日に解除されたが、まだ賑わうほど人は見かけない。

家賃を払って店を経営している人たちはどしているのだろう、他人事でも気にかかる。

私のよく行っていた店ではカウンターと女性たちが働く内側とはアクリル版を設置しての

コロナ対策をして営業しているらしい、所謂3密になりたくて飲みに行くのに客はマスク、

女性はアクリル越しでは洒落にもならない。

大型店は入場制限をして検温とアルコール消毒を実施しての入店となっている。

TVや会社の働き方はオンラインが中心となって新しい通信機器業界が盛況だ。

それにしてもアジアの国々の死者数は欧米に比べると二桁違っているのは不思議だ。

ミャンマーなどは今日現在で死者は「0」と言うのは、どう言うことだろう?

医療体制が脆弱そうに見えるのだが?。

数年前車椅子をミャンマーの病院へ寄贈するために彼の地を訪れたが、古いロシヤ製の手術台が最新機器として鎮座していたのを思い出す。

私の主治医の意見によると東アジアの人種は過去の歴史でコロナに類似したウイルスに感染してきた記憶が遺伝子に組み込まれているから欧米のアーリア系人種よりも耐性があるとのこと、本当だろうか?

いずれその答えは出るであろう。

現在南米、インドあたりが感染の中心になっているが、死者、患者数が一番多いのは米国である。

各国とも新規感染者が多く発生するにもかかわらず経済優先の開放を計っている。

感染の第二波、第三波を警戒しつつも用心深く人々は動き始めた。