ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

嬉しい報告

前々回のブログに掲載した「杜若訪問着」が、あるお客様の目にとまりメールでご注文いただけたという嬉しい報告を社員から受けた。

新しい試みに共感して、お買い上げいただけるのは作家冥利につきるというものである。

実際のところ空気を表現するために出来上がった模様に金や銀、胡粉などを上から吹き付けるのだから職人の度胸が試される。

もちろん、残り裂の部分で何度もテストをしてから本番に入るのだが、やり直しが効かないから、どうしても躊躇するらしい。私は彼の技量を信じているから思い切ってやればいいと思うのだが、そうは行かないとみえる。

このような試みを行なっている呉服屋は日本中で多分「ぎをん齋藤」一軒だろうが、もの作りを楽しみ、新しいことに挑戦して行くのが私の流儀である。

早速、次の作品は秋の武蔵野をイメージして朝靄に烟る秋草に挑戦してみようと思っているが、思惑通り低く立ち込める朝靄が表現できるか楽しみである。

改めて「ぎをん齋藤」の自己紹介

販売窓口の会社、染物会社と織物会社の3社で構成されている「ぎをん齋藤」は、社員と職人(外注職人を除く)を合わせ総勢25名で運営されている。

チッポケな会社であることは確かだが、小さくてもキラリと光るダイヤモンドような存在だと自負している。

会社は大きいばかりがいいとは限らない、年商何千億とか言っても見たこともない金額で、人間の身長は太古の昔から数十センチしか大きくなっていないのに会社の規模だけはここ100年で何万倍も大きく膨れ上がった。

人間の身の丈に合っていない規模になると細部がおろそかになるのは当たり前、特に我々のような繊細な感性が重要視される業種は隅々まで主人の目の届くことが肝要であり、大規模は藪蛇だと考えている。

決して負け惜しみを言ってるわけではなく今の規模は適正規模だと思っている。

特技は「御所解」、賞罰は日本伝統工芸展 新人賞受賞 、罰はナシ、今年で創業174年の会社である。

完成の域に達した「空気」の表現

以前に若松柄の訪問着で辺りに漂う空気を表現してみたことはブログでも紹介した。マズマズの出来栄えに上機嫌の面持ちであったが第2作目「杜若」図の訪問着が堂々(?)完成した。

情景を説明すると杜若が咲き乱れる池(京都では大田神社の池)に朝もやが立ちげぶり静謐な景色に思わず佇むといったところ。

きものの歴史の中でも空気感を表現したものは見たことがない。雨や雪を表したものは数多くあるが、空気そのものを表現するものとしてはたなびく雲か霞くらいのもので、等伯の松林図のような精神性を問うものは染色の世界では見た記憶がない。

きものはご婦人にとって身に纏い自分を綺麗に見せてくれるもの、しかも何十年も飽きがこないものという捉え方だろうが、作り手からすればロマンであり頭に描いたイメージを染めの技法で表現したいと願いながら作る、勿論着る人のことは十分考慮しているが。

売れるとわかっているものだけを作るならそれは「業務」であって自分の一生を賭けるには物足りない、かつて見たこともない物を作りたいと願う心がきものをより魅力のあるものにしてくれる。