ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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虫の音

虫の音が大きくなると秋の展示会が近いと感じさせられる。

今年の会は9月29日から10月5日までの1週間を予定しているのでこの時期は物作りと店の修繕で気忙しい。

展示会は東京でもそうだが以前と比べると確実に来場者が多くなった。京都での会は数年前から3日間であったのを1週間に拡大したのも、お客様が重なって狭い会場に人と商品が入り乱れることを避けるためである。

京都で年に二度、全商品を飾るのだから一人でも多くの人に見てもらいたいという願いと、普段「敷居が高い」と言われる店構えを気にせずに気軽に京町家をお見せするいい機会なればと考えている。

店舗は築120年程の典型的京町家で、最近さすがにあっちこっちの傷みが目につくようになった。毎年展示会を機会に修繕するのが町家保善の意味でも意義があり、特に町内は歴史的保存地区に指定されているので、修繕するのも京都市に届出する仕組みになっている。

店は現在仕事場としてのみ使用しているが、昭和初期には住み込みの従業員が3名と家族4名が生活していたと父から聞かされたときは驚いたことを思い出す。

さて今年の展示会テーマ商品は私が力を入れている「摺箔帯」と「ぼかし染め」である。どちらも腕利きの職人達の技を「ぎをん齋藤」のテイストでご覧に入れる。

47年振りに「春の雪」三島由紀夫を読む

夏休みの無聊を慰めるために久し振りに「春の雪」を引っ張り出して読む。学生時代この本が出版され私は夢中で読みきった事を記憶している。

読み終え、もし自分に女の子が生まれたら「聰子」と名付けようとその時決めた、そして後年、長女の名を「聰子」と命名した。それほどこの悲劇のヒロインに傾倒してしまったのである。子供っぽいと笑われるかもしれないが、事実だからしようがない。

今回読み返して三島美學の素晴らしさに二度目の感動を覚えた。流れるような格調ある文体で描かれる華族世界の表と裏、主人公「清顕」の繊細すぎる美醜への感受性、そしてヒロインは仏門に入り、主人公は死を迎えるという、ありそうな結末だが一気に流れに引き込まれる。

現代の純文学は余りにも日常的すぎると感じている私には久し振りに重みのあるしっかりとした後味を残してくれた。現代文学が「お茶漬」なら三島文学は脂の乗った「ステーキ」のように。

ご存知のように「豊饒の海」三部作が完結した後、彼は市ヶ谷の自衛隊駐屯所で割腹自殺をし自らの美学を完結させる、この事件によって「三島由紀夫」の名と「聰子」が私の脳裏に深く刻まれることとなった。

伝統工芸展に見事落選

自信を持って応募した「辻ヶ花訪問着」が敢え無く落選した。日本伝統工芸展は若手工芸作家の登竜門として多くの作家が競って応募する日本を代表する応募展である。

なにを隠そう私も以前自作の「羅」織りで新人賞、金10万円をもらった実績がある。しかし悲しいかな老眼のために織り傷を作ることが多くなったので応募するのは諦めていた。

今回は染物の分野で再挑戦を試みることにした。今回の作品「辻ヶ花染」における私の役割は、プロデューサーとして白生地の制作と絞り手法の工夫にアドバイスを与え、数人の職人達と完成させたもので私自身が染めたものではない。

ただ、あまりに出来栄えが良かったのですぐ商品にするには惜しいと思い応募した次第である。

私くらいの歳になると気鋭の作家を目指すという野心はなく、気に入った作品ができたので審査員にご覧に入れよう、万一入選して巡回展示されたら多くの人に桃山時代の辻ヶ花に限りなく近い染色品を見てもらいたいと願ったからである。

残念ながらその思いは叶えられず手元に戻ってくるが、それほど落胆はしていない。今回の作品には自信があり十分満足しているので、他人の評価は気にならないというのが本音である。

ものづくりは突き詰めれば自己満足の世界で、世間で認められるかどうかは別の問題である。