ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

泉田玉堂老師に問う

以前から時々ブログにも書いているが私の茶友であり、息子の師である泉田玉堂老師が久しぶりに京都においでになり、

最近のご様子や「摺箔」の評価を得た次第だ。

老師は奈良の大宇陀にある大徳寺の塔頭「松源院」にお一人でお住まいの身だが、大徳寺の頂点を極められ「室号」をお持ちの高僧である。

今回は特に私の病気見舞が目的でこられたのだが、私は摺箔の高評を得たいと出にくい声を振り絞って話すのだが、老師は随分と耳が遠くなられたので家内が通訳となって1時間ほどお話をしたが、終わったらグッタリとしてしまった。

私は老師に問うた「無の境地で作品を作りたいのだが、どうしても俗物的な物しか作れない。どのようにすれば無の境地に到る事ができるか?」と。

師の答えは「答えは全て自分の中にある、考えて、考え抜いた時に無の境地に到ると。」なるほどと私は合点が入った。

反省すれば七曜の「木」は老松と早くに決めていたが、これは着物を作ってきた俗人「齋藤貞一郎」の発想で「木」を更に哲学的に熟考すべきであった。

今一度、摺箔で表現すべきモチーフを熟考するのが、これからの私に残された仕事だ。

「摺箔老松屏風」完成

土曜日からの秋の展示会に合わせて「摺箔老松屏風」がようやく仕上がってきた。

玄関にドンと広げて皆さんをお出迎えする設えが出来上がった。

価格も決めた金700万円、高いか安いか人によって受け取り方は違うと思うが、自分では妥当な価格だと思っている。

現在のコロナ禍でこそ不老長寿を祝う老松が相応しいテーマではないだろうか。

能舞台には「鏡板」と呼ばれる老松が描かれているが、あれは「春日神社」の松が池に映った松の姿だと言われ画法は違っていてもテーマは老松である。

「薪能」という名で薪を燃やして夜に幽玄の世界を味わう舞台があるが、あれは能の発祥が奈良県の「薪」という地名から出たもので能にしても「狂言」しても奈良とは切り離せない。

確か「観阿弥」も「世阿弥」も奈良の人だと言われている。

一方、摺箔の進展は苦労している。

「七曜」と決めたからには、何としても完成させたいが「火」が難しい。現在「金」の「龍」に取り掛かっているが迫力と躍動感が表現できるか気掛かりである。今にも龍が出てきそうな黒い雲のぼかしは上々の出来栄えだから、多分いけるだろうと楽観しているが。病気でもこの大作に取り組んでいると辛さを忘れ、黙々と生き長らえるのがありがたい。

杉本博司私の履歴書を読む

日本経済新聞に連載されていた私の履歴書を読むのを毎日楽しみにしているたが7月31日を以て終了した。

彼は東京の下町の生まれとは聞いていたが立教の小学校に入学する位だから所謂お坊ちゃんである。

私のように地区の小学校に入るとは大違い、京都の下町でもお坊ちゃんはキリスト教系の小学校に通ったもんだ。

昭和30年頃と言えば運動靴も買えない家庭が多く、裸足で通学する友達も結構いた。

私は平均から言えば中の中クラスの家庭で革のランドセルを背負って入学したが3日目にフタをナイフで切り裂かれた。

悲しかったがまだ妬みを理解していなかったので何故こんな事をする人がいるのだろうと他人事のように修理してもらって6年間使ったものだ。

彼の記憶力は恐るべきものである。

上記のような大きい事件は流石に記憶をしているが、私の場合、それ以外の日常生活などはほとんど記憶がない。

もともと過去の事象には興味がなく、未来を夢見るタイプなのであるが記憶力の優れた友人と昔話などを始めると自分は記憶喪失の病気では無いかと不安になる。

彼が亡き奥さんのために着物を買い求めてくれた時の様子も全く覚えがなく先日のメールに彼の受賞を記念して白地のきものを買ってくれたらしいがはっきり覚えていない。

彼は優れた記憶の持ち主で有ると同時に文筆家としての能力も持ち合わせていると評価する。

才能豊かな人間はそうしたことがよくある。

チャップリンは素晴らしい映画監督でありアクターでもあるが、素晴らしい作曲家でもある。

杉本さんにも天賦の才が備わった人なのだろう。

読み終えて私が感じたのは彼の好奇心は蓄積された豊富な知見を伴って天空と時空を駆けめぐっているのである。

もはや誰にも止められない火の玉なのだ。