ぎをん齋藤
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「夏のはんなり展」来場御礼

過日「夏のはんなり展」の反省会を開き担当の田中君より報告を受ける。

二日間の開催で来客の状況が気掛かりだったが80名以上と予想通りのご来場に御礼を申し上げる。

私は相変わらず留守番役で直接お客様にお目にかかれないのが寂しいが、今は療養が最優先と判断し、皆様にはお許しを頂きたい。

今回のご売約内容を見るとやはり良いものから売れている。お客様は皆さんお目が高いと感服した次第。

自分で言うのもおかしな話だが出来の良いもの、悪いものがある。作るもの全てが秀作とはいかないのが事実だが、売れるものはどうしてか出来の良いものが多い。

東京での展示会も12月、3月、5月と回数が増えたので常に目新しいものを作るのは中々大変だが追われるから作れるとも言える。

製作工程に日数がかかるので出来上がるまで完成イメージを頭に置きながら進めていく作業は健康でなければ不可能だ。

入退院を繰り返してきた私には今の健康こそ何物にも変えがたい喜びである。

「徹すれば通ず」

物作りの要諦がこの歳になって少し分かりかけてきた。

若い頃は物が見えず「いいもの」か「悪いもの」かの区別がつかず、不安を抱きながら手探りでものを作ってきたと記憶する。例えば職人の技量が計れず、工賃が適切かどうかの判断ができないまま指示してきたような気がする。

結局、売れたものが「いいもの」で売れなかったものが「悪いもの」だという変な結論がでてしまった。それでも物作りを止めずに現在までどうにか継続してこれたのは幸運であったとしか思えない。

ようやくこの数年、自分が「これだ」と思ったものに徹して作っていく姿勢が人の共感を呼び起こすもとになっていると気付くようになった。

つまり「徹すれば通ず」なのである。逆に特定の人に気に入られようとして作ると魅力を失うことになる。

昨今の風潮で消費者のニーズに応じて価格設定をして物作りをすることが大切だと声高に叫ばれ、その結果、似たよう物が似たような価格で販売され総じて個性的で魅力のあるものが少なくなった。私など巷で売られているもので、どうしても欲しいと思うものが少ないのは寂しい。

昨今の情報過多時代に販売力だけで生きていくのは難しく、自己の主張をはっきりさせて、物作りをし、しかも徹することが大切なことであろう。

「夏のはんなり展」近づく

7年前から東京で開催している夏物のきもの、帯展は徐々に定着しつつある。

いつの頃からか6月に入ると夏帯に単衣物、夏襦袢、7月、8月は透けた生地のきものに夏襦袢、9月は6月と同じという流儀が決まりごとのように教えられ、現代の一部のコミュニティーでは結構厳密に励行されている。もちろん江戸時代まで遡ると違う決まり事があったに違いない。

真夏にきものの正装で出掛けることは稀であろうが、6月、9月は結構、催し事があると聞く。そんな折に着るべききもの、帯が世間であまり売られていないので、ぎをん齋藤に問い合わせいただく方が多い。

私自身は夏の素材、薄絹、麻、ピーニア、葛、藤布、蓮など創作意欲が湧く素材が多いので作り手としては楽しいのだが、消費と結びつき難いのがたまに傷である。

以前にも述べたが夏のきもの姿は決して涼しくはない。汗ばむのは我慢して相手に清涼感を与えるのが日本の謙譲の美徳の心である。

「武士は食わねど高楊枝」の心意気であくまでも涼しげに着てほしい。