ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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「師走展」近づく

銀座「かねまつホール」における恒例の師走展が近づいています。

咽頭ガン治療のため2年続いて欠席したこの会に久し振りに出席したいと体調を整えながら物作りに励んできました。声は相変わらずかすれ、口は渇いて話しづらい状態ですが、お客様に会いたい気持ちと久し振りの遠出に遠足を心待ちにしている子供のように胸が膨らむ思いです。

お陰様で喉以外はすこぶる健常で様々な物作りに挑戦し、大作を完成できましたのは仕事への愛情と執着心が成せたものと自認しています。

その大作「桃山縫い四季草花」訪問着は日本刺繍の至高ともいうべき作品で、ぎをん齋藤の看板とも言える出来栄えとなりました。

途中で幾度となく手を加え一年がかりのことはあり、本歌に劣らぬ桃山時代の力強さを表現できたと我田引水いたしています。

物作りに妥協せず自分の眼と美学を信じて作り続けてきた「きものと帯」を、ぜひ御来駕のうえご批評いただければ幸いです。

近くにあった名建築

下鴨神社敷地に隣接するように建てられた名建築を訪ねた。

我が家から徒歩5分に「旧三井家下鴨別邸」(重要文化財)が存在していたとは全く知らなかった。数週間前に新聞で報道されていたので散歩がてら訪ねることにした。

世界遺産 下鴨神社は糺ノ森の一角にあり京都の原風景と言われているが、別邸もナラの巨木が林立する中に平地を切り開いて建てられたものらしく、原野のたたずまいが色濃い。

玄関から見る一部三階建ての木造建築は明治、大正、昭和の三代にわたって建てられた旧三井家所有の建物を神社参詣の休憩所として合体移築したらしく、一種の不自然さは否めない。

庭園は庭師の作為を感じない素朴な日本庭園で、池に面する茶室は小さな滝から落ちる水音が和敬清寂を醸し出す。

主屋は縁側を広くとった書院様式で広間から庭園を一望に見渡せる。三階部分の望楼は「大文字焼き」を数人で楽しむにはうってつけのロケーションである。

杉戸に描かれた「原 在正」の孔雀図も素晴らしく、何十年もこの地に住まいしながら気が付かなかった隠れた名所が存在するのも、京都の懐の深さかもしれない。

古裂よもやま話

前述のブログでは「値段って一体何だろう?」という話を書いたが、今回も古裂にまつわる値段の話をしよう。

裂でも完品(完璧な形で残っている品)からゴミのように小さいものまで、状態と景色(構図)、時代によって値段は乗数的に変わる。例えば辛うじて模様がわかる程度の辻が花なら数千円、A3サイズ程度になると数百万円、完品だと1億円というのが相場であろう。

先般も慶長小袖(江戸初期)を1億円で売るという話を聞いたが、下手すれば「ボロ布」としてゴミ箱に捨てられてしまいそうな裂が数百万の価値があるのだから「値段って一体何だろう?」と改めて考えてしまう。

単純に言えば需要と供給のバランス、経済原論の示すとおり欲しい人が多くて供給する人が少なければ値段は上がる。今流行りのオークションも会場で競り合い、我を忘れて高値で落札すれば売手の思う壺となる。古美術商の世界では過度な高値になり過ぎないように、最高額でくじ引きをすると聞いた事がある。

そう言えば、本阿弥光悦が茶道具屋で見つけた茶入を手に入れるために全財産と交換したと母に伝えると、母は「でかした!」と褒める一節を思い出す、江戸初期にも光悦のように無類の道具好きが既に存在したのだ。