ぎをん齋藤
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古裂蒐集家

いよいよ17日から細見美術館に於ける展観が間近に迫った。

考えるに古裂蒐集家の数は非常に少ない。あの人気鑑定番組にも古裂が登場したのは、私の知る限り二度だけのことである。一度目は中国清朝の「龍袍」、皇帝の衣装である。二度目はサラサが数点の二回のみである。

その理由を推測すると衣裳は完全な形で残っているのは江戸中期以降のものが殆どで、それ以前のものは裂になった状態が多く、額にでも入っていなければゴミと間違えられてしまう。

一般に古美術蒐集家は男性が多く、きものや裂に興味を持たないのが普通である。一方、女性は全般的に古い物にお金を使う程の興味は無さそうである。

加えて昨今、呉服業界の不振が続き私のように趣味と実益を兼ね備えた蒐集家が減少しているのも染織品の相場を下げる原因となっている。

今回のイベントで染織品の素晴らしさが認識され、鑑賞美術品として再評価されるきっかけになれば幸いである。

そういえば祖父の時代、同じ新門前通に「野村正治郎」というコレクターが「誰が袖屏風」を考案し、多くの古裂を工芸作品にまで仕立て上げた。どうも新門前通りは古裂が集まる因縁がありそうだ。

古渡サラサ「苺手」

久しぶりに美しい裂を手に入れた。「苺手」と呼ばれる江戸初期に渡来した古渡サラサである。

生地は当然、木綿だが質が別格に良い。絹かと思うほどのしなやかさはインドのコロマンデル辺りに日本から注文したと思われる。

サラサでも日本に輸出された木綿は東南アジアやインド国内向けに作られたものと比べると細い木綿と打ち込みのしっかりしたものが使用されている。デリケートな違いを大切にする日本人らしい注文と言える。

本品は茶道の袱紗に仕立てられ千家十職「土田友湖」の箱書が添えられている。藍地に深紅で染められた紋様は丁寧な仕事が施され、以前に見たどの苺手よりも精緻さが際立っている。

黒楽茶碗をこの袱紗に包んで濃茶一服いただけば色の組み合わせを想像しただけで素晴らしい美の世界が現出する。

「夏のはんなり展」来場御礼

過日「夏のはんなり展」の反省会を開き担当の田中君より報告を受ける。

二日間の開催で来客の状況が気掛かりだったが80名以上と予想通りのご来場に御礼を申し上げる。

私は相変わらず留守番役で直接お客様にお目にかかれないのが寂しいが、今は療養が最優先と判断し、皆様にはお許しを頂きたい。

今回のご売約内容を見るとやはり良いものから売れている。お客様は皆さんお目が高いと感服した次第。

自分で言うのもおかしな話だが出来の良いもの、悪いものがある。作るもの全てが秀作とはいかないのが事実だが、売れるものはどうしてか出来の良いものが多い。

東京での展示会も12月、3月、5月と回数が増えたので常に目新しいものを作るのは中々大変だが追われるから作れるとも言える。

製作工程に日数がかかるので出来上がるまで完成イメージを頭に置きながら進めていく作業は健康でなければ不可能だ。

入退院を繰り返してきた私には今の健康こそ何物にも変えがたい喜びである。