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2016年/07/30

今年、創立40年を迎える齋藤織物株式会社、20代でこの仕事を始めたのだから結構若い頃から頑張っていた自分を再確認する。

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染物は初代からずっと自家製造を通してきたが、先代まで織帯は室町の問屋から仕入れて販売していた。

染だけが自家製では片手落ち、織もオリジナルでと就業当初から考えていた。当時は帯業界が最も盛んな時代で「ガチャマン」という言葉が流行したほどで、織の機が一回ガチャと織ると1万円儲かるという嘘のような時代であった。

私も時代にあやかりたいと西陣の知人を頼りに織物業の真似事を始めた。
私に紹介されたエキスパート職人は技術のほうは確かだが人間性の卑しい男であった。それでも騙されたふりをして彼の指図どおりに開業し法人化まで果たしたが商品の横流しや加工代の横領など目に余ることが頻発して彼を解雇した。

織り場と指導者を無くし困っていた時、窮地を救ってくれたのが今の現場責任者であるKである。以来約35年、彼の織物に対する卓越した知識のお陰で仕事が継続してこれたことを感謝している。

さらに若い弟子に彼の知識を受け継がせたいと懸命に教育も続けている。



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2016年/07/25

去る7月22日は私の68回目の誕生日であった。改めて年齢を考えると恐怖心に似た感情を抱く。

還暦を迎えたのが昨日のように思えるが、あれから早や8年が経過した。時の流れの早さに呆れるよりも圧倒されてしまう。

若くして亡くなった友人や知人の顔を思い出すと68歳まで病気を乗り越えて生きさせてもらったのは幸せなことだろうが、生きとし生けるものは必ず死ぬという絶対的な命題は避けられない。

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この時期は例年、蟬しぐれの頃だが昨日も銀杏の根元に一匹の蝉の死骸を見つけた。死に直面することの少ない私には生前の姿のまま横たわる蝉の姿にドキっとさせられてしまった。

そこで蝉の一生が知りたくて調べてみるとアブラゼミの場合、6年間幼虫として土の中にいた後、脱皮をすませ成虫として生きるのは1週間だという。

なんと哀れな生き物ではないか。しかも不平も言わず粛々と本能に従い死んでいく。

人間と蝉は同じ地球上の生き物として、死の価値に差がないはずだが人間にとって肉親や友人の死、まして自らの死は宇宙の終焉に等しいほど大きい。

もし人と蝉の命に価値の差を認めるとしたら、それは自分の為ではなく他者の為に生きるという「意思」にあるのかもしれない。



  

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2016年/07/16
若冲は尾形光琳とほぼ同時代、江戸中期に生きた画家である。

その二人の共通点は「京都」、若冲は「京都の台所」と云われる「錦市場」の八百屋の倅、かたや光琳は錦通りから北へ行った「中立売通り」にあったとされる雁金屋という呉服屋の息子である。

その若冲が今、大変な人気である。展覧会などは行列ができるくらいで、チョット前までは人気の点では光琳に軍配が挙がっていたが今では若冲の方が優っているように見える。

若冲と光琳、この二人を要約すれば、若冲は筆の立つ絵描、光琳はデザイナーといえば納得できるのではないか。

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生物の描写を得意とする若冲に対して簡素化した表現と画面構成に重きを置く光琳、二人は対照的なのである。どちらが勝っているかではなく目指すものが違っていた。

私の個人的意見では光琳の絵はきものの参考になるが若冲の絵は難しい。何故ならば光琳は画業を本職とする以前は実家、雁金屋できものの下絵を描いていたが、一方若冲は家業を兄弟に任せて絵筆三昧の隠遁生活に入ったと云う。

この両者の生き方が画風にハッキリと現れているのだ。

ちなみに我家の始祖、源六は彼らが活躍していた時代からおおよそ150年後「中立売」から近い「今出川通り」近くで開業したと聞いているから一層彼らを身近な存在として見てしまう。



  

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2016年/07/05

6月も20日を過ぎると例年なら夏らしくなるのだが、今年の京都は梅雨空が続く鬱陶しい毎日だ。

6月は正式には夏襦袢に単衣のきものと夏帯だが、7月になるときものは夏生地へと衣更する決まりになっている。

しかし厳密に実行している一般女性は少なくなっていて昔のように煩くは言わなくなった。その理由の一つは生地のバリエーションが豊富になったのが大きいと思われる。

一昔前は夏といえば「絽」か「紗」の2種類と決まっていたが、今はそのいずれの範疇にも入らない生地が作られるようになって、夏生地とそうでないものとの境目が曖昧になっている。
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ところが角界と梨園の女将さんは相変わらず厳密に習慣を実行している人が多い。やはり江戸文化を色濃く受け継ぐ世界だけに決まりごとには厳正なのであろう。

私は個人的に厳密な世界が存在することは文化国家の証となるので賛成である。

7月、8月の盛夏に入ると「麻」(上布)を着るのが正式とされてきたが上布を楽しんでいる女性がどれ程いるのだろう?やはり麻独特のシワが気になるらしく夏はきものを着ないという女性も多い。

麻生地も昔のような細い繊細な糸を作るのが困難になったのも、需要の減退が生産技術の後退の要因になっている。


 

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2016年/06/20

あれだけ力を入れて創ったソワレの反響がイマイチだ。前記のブログでも予想したように新しいものに女性は慎重になってしまうらしい?

他の女性が着出すと追随するが自分が先端を切ってチャレンジすることには臆病になるということなのかもしれない。

私などは周りの目を気にしないで気に入ったものは喜んで着る事が多いが、女性はそうはいかないようだ。これは女性の特性であり、きものが何百年も形を変えないで存続しているのもこの女性の特性に負う部分が多いのかもしれない。
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従って見慣れたきものが女性の望むきものであって変化する必要はないのかもしれないとシュールな気持ちになってしまう。

しかしそれでは作り手が飽きてしまう、何十年も宝尽しや松竹梅を作り続けるのは仕事とは言え苦痛なのも事実である。

この種のジレンマはあらゆる物作りの現場に必ずあると思われるが、ジックリ考えてみれば作りたいものを作ってそれを生業にすることは至難の技か余程運がいいとしか言えないのかもしれない。


 

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