ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

家付娘…祖母

明治十七年生まれの祖母は日清、日露、第一、第二の世界大戦を体験し、近代日本史そのものの姿の中に、強さ、清貧さ、優しさ等を持ち合わせた人柄でした。

祖母は俗に言う「家付娘」でしたから、何につけても家業安泰を生き甲斐として、九十六年の人生を全う致しました。
祖母は私と同じ丑年という事もあり、イヤに馬が合って、常に私を側に座らせて、延々と京都での暮らし方、商いの心得、家業の大切さ等々…夢中になると深夜まで伝授してくれたのですが、「ぎをんの町言葉」は私には難解で話の内容は半分位しか理解できなかった事を祖母には申し訳ないなぁ…と心の中であやまっていました。

そんな祖母を家で看取った私たち家族は、家業への大変な不安と心細さ、寂しさを痛感したことを覚えております。特に主人の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。「おばあちゃん子」でしたから…

その頃の日本経済は好景気で多くの企業、大会社が世界中に支店をどんどん広げて、現在のシニア世代(団塊世代)が大活躍!!一ドル八十五円時代の開幕です。

欧米ではそんな日本人サラリーマンを「エコノミックアニマル」等と揶揄した言葉が生まれた程ですが、勝てば官軍、好景気で日本中が浮き立ち、土地バブルの真っ只中です!後半の「バブル崩壊」を今思えば恐ろしい状況がこれからはじまります。

「おぉ~コワ!」