ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

齋藤織物(株)の設立

鴨川を挟んで河岸の桜や銀杏の並木が各々葉の色を黄々と変えて、秋から冬のつめたい風を受けて散って行く様子を観ると、コロナがこんな十二月まで続いてしまったのか!と…乾いた地面に落ちた葉と共に寂しさを感じます。ああ、このまま新年が来てしまうのかなあ…。そんな心境の中ですが引き続き人生の思い出を振り返りたいと思います。 

昭和六十年頃、日本の株価が四万円近くになりバブル景気の兆しが表れました。それまで「齋藤」は染め物だけを生業として来ましたが、着物と帯を同じ感覚で表現する事を強く主人が希望したので、袋帯製造会社を設立する事を決めました。

まず工房建築と共に手機の職人の手配と職人を指導する工房主任の選任と…思いの外、準備する項目が多く染物と織物とはこんなにも別世界、異業種なんだ…と痛感し、苦労苦難が山積して途中で挫折しかかる事が数回ありましたが、主人に「人を感動させる織物を創りたい」という強い希望があり、夢を求めて、当時バブル景気による不動産高騰で身分不相応な借金を背負う事となりました。会社が軌道に乗るまでは銀行返済に行き詰まり、夜中にうなされる事も多々ありましたが、何とか困難を乗り越え今に至っております。

その間には平安時代から江戸中期までの古裂復元や能衣装の制作、中国湖南省博物館所蔵品の羅の復元とか、袋帯以外の文化資料や、技術研究の蓄財を後世代に引き継ぐ事が出来て、主人共々ホッとしております。 

現在の西陣織業界は稼働率が悪く寂しい状況ですが、私どもの工房には若い世代の織物好きな女子職人が多く集まり、毎日張り切って元気に研究と技術の更新をしており、頼もしい限りです。

この工房設立で経験した事は新規事業立ち上げの苦しさ、難しさは勿論ですが、社会的責任を常に意識し、自身を見失うことなく強い「初心貫徹」の決意を持続することの大切さです。この意志の基盤となったのは、社是にありますが「我々の事業に参画する社員、職人の生活と心を豊かにする」という主人の信念でした。

人生、毎日の生活は常に二者択一を迫られ、寸時に進んで行かなくてはなりませんが、敢えて苦しい道を進めば、広く大きな自身の成長があると期待しつつ、人生楽しんでおります。