ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

まさか…!という事実

七十歳過ぎまで人生時間を過ごして来ると、人生の醍醐味とはまさに、この「まさか…!」という想定外の問題にぶつかった時かと思います。

この「まさか!」の中には良い事もあり、心がうきうきと喜び幸せいっぱいの気分で世の中の暗い部分まで明るく見えたり…と勝手な心境になったりもしますが、私が今、思い返せば、逆に悪い「まさか!」の時の方にこそ、人生の醍醐味を感じます。

自身が追い詰められ、解決方法も判らず、頭の中をいろいろと思い巡らしても、一点の明かりも無く、他人や周りの人々を巻き込みながら、どんどん身近な人間関係さえも壊れていく…そして孤立していく自身の姿の哀れさ…。

 

もがけばもがく程、暗く深い穴の中に一直線に落ちていく心と精神…「ああ、これではダメになってしまう!」という時に、ふと客観的に自分自身の姿を観て、まづいかに心を建て直すかという所から私は始めました。自分を取り巻く生活条件の観念や観点の見直しを細密に分析して、一つ一つ確認と納得を繰り返しているうちに心の均衡を取り戻し、各々の問題も冷静に順序だてて解決できる事を識りました。

精神的に不安的な時に山積してしまった問題も、正義的に王道に沿って結論を出せるようになりましたし、子どもたちや仕事のことも安心して日常の生活を過ごせるようになったことが、一番の成果でした。

この「まさか!」を乗り越えて、私自身の人生観が大きく変わりました。仕事を通して知り合った人々、又、それ以外の御縁で知り合った人々に可能な限り、手助けが出来るなら精一杯する事、見返りを期待せず誠心誠意努力して接する事など…

苦しさの中で学んだこの姿勢が、自分にとって一番楽な生き方であると会得しました。本当に人生楽なんです。その苦しい時に救いの手ほどきをして下さったのが、大徳寺現住職の泉田玉堂老師でした。「人間本来仏なり…」と。

今まではどこかで無理をしたり、虚勢を張ったりがあったけど、現在はとても毎日が楽しく、安定した時間を過ごして人生を愉しんでいます。

 

これから、まだまだ「まさか!」と対面する事があるでしょうけど、乗り越えることもできると確信しています。この苦しみからの脱出過程を私は人生の「醍醐味」と理解し、納得しました。

苦しみも味のうち…