ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

「のれん」の責任

真夏の強い陽差しの中で照りつけられた麻のれんを見つめて、改めてその時間の流れを感じました。この新門前で二百年余り呉服の生業を営んで来ましたが、京都の中ではまだまだ新参者でもっともっと長い歴史を持ったお店は沢山あります。

戦後の世の中、社会の速い変化の中で京都だけは変わる事なく、昔のままの日常を過ごしております。考えてみればこれは凄いことで「守りぬく力」はその時代を生きた先人たちの忍耐と努力、そして犠牲の上に成り立っているのだと痛感致します。が、ただ、その先人たちはその折々に同時に張り合いや自己満足も伴ったと思います。

店構えは言うに及ばず、仕事への姿勢、自身の生活の倹約、積極的な社会的集団儀礼等、毎日毎日をこのような意識があればこそ今まで続けて来れたのだと思います。

戦後、経済的な乱高下やバブル好景気等があっても世情に流される事なく冷静に判断、行動する術は応仁の乱以後、京都人が身につけた「身のかわし方」で独特な感性だと再認識しました。

このように守って来た「のれん」は今や日本の歴史そのもので風情を残し、生活習慣を守り続けた結果だろうし、我々は当事者として今後何をすべきか?…と考えた時に、真先に後継者の育成だろうと思います。

若者たちは新しい近代的なツールの中で育ち、思考も欧米化しているけど、果たしてそれが正しいのか…一歩立ち止まって客観的に自身を見つめ直す習慣をつけて「守り貫く難しさ」を識って欲しいです。

主人も人生の中で自問自答する時期が長く続き落ち込んでいる日々が多々ありましたが、自分の道をみつけた時から「のれん」を意識して仕事が始まりました。