ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

生まれ変わる古裂

先代が半世紀かけて蒐集してきた室町時代から江戸時代初期の古裂が着物や帯の図柄となり、切り付ける事により、長い歴史の中で埋もれていた状態から、現代の女性たちを、喜ばせ、心を豊かにする存在に生まれ変わることは、まさに現代のSDGsを遥かに大きく超えた再生だと思います。

古裂を手にして、その古裂の生きた時代を考えながら、現在の感覚に合わせた図柄を構想している時が、作り手にとって苦しくもあり、又、楽しい時でもありますが、着物や帯の図柄として完成した時、古裂の持つ生命力を、痛感します。

古裂にも、歌舞伎演目の時代物と世話物と一緒で、古裂の表情から、各々の品格や格調の差は自ずと現れてきます。素材が木綿や麻とかの裂は、世話物風に使い、綸子や一越などは、時代物風の図柄にと、古書・文献を片手に、完成図を描き制作する過程は、手間のかかる作業です。

しかし、この古裂再生が、今の私の仕事でもあり、生きがいでもあります。

(※画像はいずれも制作途中です)

朋 遠方より来る

10月に入り、行動移動制限が緩和されて、京都の中もいきなり市井混雑状態となりました。経済的には大変結構な事で、観光主体の京都は、潤いを期待したいところです。

先日、主人の一周忌を料理屋さんで無事に営むことができましたが、実の所は、緩和の期待をして良いものか、心配でした。しかし、おかげさまで宴席を持つことが可能となり、ホッと一安心です。

当日は、故人の人徳か、全国から25名の学友、幼なじみの面々がお集まり頂き、50年ぶりの邂逅に対し、正に「朋 遠方より来る」の如く、懐かしい青春時代に還った時空でした。思えば、其々の人生の中で、紆余曲折、また、風雪も有ったろうと思いますが、そんな時に、我が事と受け止め、共に喜び、共に涙した絆が今日まで続いたからでしょう。

生涯の友人は、宝物ですし、主人からこの宝物を受け継いだ私は、幸福者です!

 

「友、遠方より来たる有り、また楽しからずや」

残念、無念!

10数年越しに楽しみにしていた、観世銕之丞先生の能「重衡」が、台風14号の為、上京不可で拝見出来ませんでした。実に、残念、無念の限りです!

私は、舞台に先立ち、平重衡が南都焼討した、東大寺を、孫と歴史確認の為、残暑厳しく汗だくの中、行って来ました。

二月堂西正面を、下から見上げると、17世紀に再建されてからも、その壮大な堂々とした威力は、この世のものとは思えない霊力を感じます。

能の中で、源氏に処罰された重衡が悪行により、成仏出来ず苦悩する苦しさの中で、出逢った僧に懺悔して成仏を切実に懇願する場面があります。

この懺悔の行為が我々にも、大切で、後悔しても懺悔しないのが、生身の人間の業かもしれません。

素直になる努力が必要かも…