ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

手許で保管すべき物

亡夫が遺した古裂蒐集の点数がおおよそ百点余り、その他の資料を合算すると二百点程となり、将来的に如何ようにするのが得策か…と、この一年間、私の頭の中はこの悩みでいっぱいでした。

存命中、主人は何とか染織歴史的に貴重であり、一貫性があるから分散する事なく、全て一括で美術館、又は染織学科のある大学等に寄贈する意思がありました。その理由の一つに古裂の現状維持の難しさがあって、色彩の褪色や繊維の劣化が必然的に伴うからです。私としては、このような問題点と故人の蒐集に対する情熱を考慮して、手許で保管することに決めて、西賀茂社屋の余地に湿度、遮光等の解決を優先した「収蔵庫」を建築する事を決めました。

その理由は、染織を志す後輩たちが自由に、間近で研究できる場所の提供は、将来的に染織業界に貢献できるものと信じ、故人の遺志が色濃く現存されるだろうと期待するところであります。

建物は、女性建築家・妹島和世氏の愛弟子で亡夫の大学後輩でもある周防貴之氏が、私の少ない予算にも関わらず快諾して下さいました。周防氏は唯今、大阪万博パビリオンのお仕事中ですが、多忙の合間をみて進めて下さるようで感謝の限りです。

古裂保管の方向性が決まり、私は安堵と共に、周防氏の構想が楽しみとなりました。

又、この七月、八月と二ヶ月間に渡り、この古裂と共に亡夫の作品が細見美術館にて展示され、何よりの供養となりました。

 

人生の賞味期限

昨今、医療も進み、現代人の寿命が百歳越えの時代が来ました。

喜ばしい反面、老後の人生時間をどのように過ごすかが大きな課題となり、各種紙面にはこの解決法を取り上げた数々の宣伝が載っています。

 

最近、私はつくづく思うのですが、学業を終え、一般社会人となり、現役労働が始まります。その間、試行錯誤の人生の果てに、退職と同時に「老後」と称される期間に入って三十年近くある訳ですから、その過ごし方が難しい問題となり、我々世代は切実に悩む事となります。

しかし私はこの「老後」三十年間が「人生の賞味期限」の始まりだと受け止めています。その理由は「美味しい料理一皿」に譬えると、食材、調味料など吟味して、味付け、盛り付けに心を配り、失敗を繰り返しながらやっと納得した「極上の一皿」が完成して賞味するのですから、丁度「現役社会人」を完成させてから「極上の老後」に入るのだと思います。

 

老後は寂しくも悲しくもなく、この瞬間から「人生の賞味」がはじまり、楽しく充実した味わいのある期間になるのではないか…と私なりに解釈しております。

多趣味な私は周りの多くの同世代友人たちと楽しむ事を最優先に、唯今「人生の賞味期限」の真最中です。

「ああ、幸せ! 楽しむコツは多趣味であることかな…」

落花枝に帰らず…然れども

この五月、三年振りに私の「謡い会」がコロナ前の日程に戻り、五月晴れの清々しい一日でした。演目は素謡い四十五分間の「屋島」でしたが、実にタイムリーにNHKの大河ドラマ「鎌倉どの…」も壇ノ浦シーンと重なりました。

この「落花枝に帰らず…云々」の文章は一般的に皆様の御存知の通り、数々の同意熟語がありますが、能の中での解釈は、一度死んでしまえば二度と生還はかなわず…と言う意味で、現世での犯した罪は業因となり、死後も苦しむ事となるが、しかし素直に万物のありのままの姿を受け入れたら浄土へ導かれるという、仏教的内容の物語です。

 

私がこの「屋島」を謡う事となり何とか作者(世阿弥)の心境を理解する為に読み返して学んだ事は、この世の人々との絆、縁を大切にそして優しく許す「心の広さ」を持つ心構えは、自分自身の人生の「要」であると言う事でした。

今回の舞台での私の着物は「屋島」に因んで弁慶格子の袋帯、着物は源氏雲に唐花をあしらった一式でした。演目に合わせての衣装選びも愉しいひとときでした。