ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
◆お問い合わせ
ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

御所解染名古屋帯の復刻

約50年前の「ぎをん齋藤御所解染帯」を現代に蘇らせるプロジェクトを進めている。

それは約半世紀前の商店、齊藤呉服店で制作されていた唯一の”御所解染帯”で、

当時から店の看板商品として京都の花街を中心に多くの方に愛されていた品であった。

そして今回、元となったそのオリジナルといっていい御所解文様を50年ぶりに復活させるため、

店に現存する様々な資料をもとに生地(鬼しぼ縮緬)は勿論、図案から草花の形、刺繍、疋田、墨入れ、

また全体の色合いまですべてを忠実に再現することを目標とし、当時の店主(私の祖父)であった先々代、

「齊藤正二郎」の御所解を現代に蘇らせるという願いも叶えたいと本心から思っている。

この写真は昭和46年、展示会のため店先に御所解染名古屋帯として飾った当時のものである。

写りが悪いため詳細はつかめないが、見てわかるようにとてもふくよかでおおらか、

また全体のバランスは見事に整っており、当時の御所解としては最高ではないだろうか。

さて、以前修復士として働いていた立場から言うと今回の再現は当時と同じ材料を使い、

正確な図案と写真、そして当時の事情を良く把握している職人、この環境で再現を行えば

間違いなく50年前のすばらしい御所解が出来上がると確信している。

そしてそれは来月4月に発表予定で、その全容は乞うご期待である。

昭和46年当時の発表 御所解染名古屋帯

 

 

第33回東京六本木武原展示会

今年で33回目の六本木武原展示会、もう随分長く続けている催しの一つで

”東京”と言えばまずこの会を思い出すほどである。

忘れもしない私がまだ学生の頃、何度か手伝いを親から命じられ、下足番としてお客様の履物を

番号札と一緒に玄関先の棚に並べながら一日中立ちっぱなしの手伝いをしたことがあった。

その頃の六本木展示会は東京では年に一度の催しということもあり連日大賑わい、

下足番という慣れない役を命じられた私はご挨拶もしながら目の前に広がる無数の履物を相手に

間違えないようせっせとその責務をこなしていたが、思いもよらず終盤になって白のきれいな草履がぽつんと

空の棚に残ってしまい、会場は誰のだ誰のだと騒ぎになった。

たいへん申し訳なく思っていたがその当時の私には成すすべもなく、急遽心当たりあるお客様に連絡をし

後日取り換えに来ていただいたという、今では懐かしい笑い話も当時の特徴だと思う。

(当時は展示会というと着物で来られる方が多かった、、、)

さて、今回で数えて33回目となるこの六本木武原展示会は33年という歴史を踏まえ、

毎年変わらずにやってきたぎをん齋藤を代表する催しである。

皆様にはその趣を味わいながらお楽しみ頂けたら幸いに思います。

ご来場心よりお待ち申し上げております。

場所:六本木武原ビル5F

令和5年3月10日~11日(午後6時まで)

 

 

 

 

父と息子

普段は中々しないが、久しぶりに個人的な話をしよう。

昨年、8月8日という縁起の良い日に息子が産まれた。

上に長女がいるので、女の子のかわいらしさは十分わかっているが、

さて、男の子とはどんなものなのだろうか?

と内心気がかりだったが、顔から何まで私そっくりな息子があらわれた瞬間、

一瞬で不安など何処かへ吹き飛んだのを覚えている。

さて、早くも半年を過ぎようとしている。

息子の成長と共にその存在も日増しに大きくなり、同じ性別、同類として私が意識し始め、

父と息子という関係性をようやく理解できるようになったと実感している。

それは娘に注ぐような純粋無垢な愛着ではなく、同種としていろいろな不安や期待が膨らみ、

自分の失敗や経験から”厳しさ”も教えていかないと、などといった傍迷惑な虚栄心も芽生えた。

それらは当然の心情であるが、何より「息子を持つ」という意味を教えてくれている彼にとても感謝している。

また、笑い話ではないがライオンが我が子を谷から突き落とすという漫画のようなことも

できやしないが美しく感じてしまうようになった、、、

そして後の祭りではあるが、もう数年息子が早く産まれていたら、私の父の気持ちももっと理解

できていたにちがいない、と深く後悔もしている。