ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
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ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

宮島での献茶会

昨日、幸運にもあるお茶会にお招きいただき、参加することができた。

舞台は広島、厳島神社で有名な宮島の山奥に西暦800年、平安・桓武天皇時代、空海によって

開山された真言宗の大本山である大聖院(だいしょういん)の「雪舟園」にて厳かに行われた。

大聖院は船着き場から右手の厳島神社を抜け、大願寺を正面に今度は左手の山道をゆっくり

登っていくと荘厳な木造建築の山門が行く者を憚るかのように待ち構えている。

また、平安建築の特徴である和様の伸びやかな山門の両脇には不動明王が阿吽の呼吸でこちらに

にらみを利かせ、思わず一礼して恭しく石段を上っていくとようやく境内が見えてくるのである。

さて、本題のお茶会、名は「譲翁茶会」。

勿論、広島なのでお家元は上田宗冏(うえだそうけい)宗匠、1560年安土桃山時代からなる上田宗箇流の武家茶道である。

お席は雪舟園にて午後2時から始まり、薄茶・展覧・点心・濃茶と茶室からお庭までしっかりと手入れの行き届いた

室礼の中、夕方までじっくりと茶の湯を満喫することができた。

また、お道具も詳しくはお伝えできないが、そのほとんどが室町から桃山にかけてのものばかり、

本来博物館、もしくは美術館でガラス越しでしか拝見することができない代物を小生には罰当りかもしれないが

間地かで拝見でき、また正客席はそのすばらしい茶碗で頂けるという、人生滅多にない得点まで付いてくる。

言葉では表現できないほど美しい、あえて言えばベージュに近い地色で、繊細で肌理の細かいふっくらした桃山茶碗に

ねっとりとした濃茶が点てられ、それを古帛紗と一緒に両手で抱えたとき、”本来無一物”とは言え

おもわず手が震えたのはその日一番の感動と緊張であった。

慶長の縫いと染織

日本の染織ルネッサンス期といえば安土桃山時代、それは豪華絢爛、まさに美の開花といっていい

大胆な柄行と金の摺箔、色鮮やかで悠然とした桃山縫いの色彩が特徴である。

しかし世が統治され落ち着いてくる頃、江戸初期になるとその煌びやかな世界はガラリと変わり、

大胆な染め分けの傍ら刺繍や摺箔はより小さく縮小し、細かな文様に変化していく。

大きな色分けの中に細密な刺繍が絶妙なバランスで構成され、桃山のような整然とした世界は消えさり、

緻密さと曲線や直線の融合、より計算された柄行の描写となって慶長の染織へと移り変わってきた。

さて、昨日もまた新しいきものが出来上がってきた。

それは生地に慶長の特徴でもある”綸子”を使い、地色は古代紫、幽玄な雲どりには摺疋田、

そこに慶長の縫い、鶴・松・笹を施している。

全容はお見せできないが、ちょこっと一部お見せしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七五三参り

上の子が間もなく6歳になる、年月の速さが身に沁みて感じるようになった。

朝晩も冷えはじめ11月には七五三のお参りがあり、三年前の光景がつい先ほどのように思う。

”コロナ”という言葉もそれほど恐怖に感じなくなり、人混みを避けて行動する必要も

なくなった今では、わが子の晴れの姿にわくわくしながら支度をしている方も多いのではないだろうか。

初着を着物や羽織に仕立てなおし、女の子には着物にかわいい被布でんちを着せて髪飾りを付け、

初めての「おべべ姿」を写真に収める楽しみには、私もつい感動し涙ぐんだ記憶がある。

今その時の写真をめくると、子供の成長を祝いまた健康を祈願し、着飾った姿を写真に収め、

神社にお参りすることの意味や大切さが確とわかる。

因みに欧米ではこのような文化、習慣はない。

これは日本特有の文化であり、神々にわが子の御礼とこれからの祈願を兼ねて

参拝するこの習慣は、実に日本人の宗教心の厚さを窺うことができる。

願わくば未来永劫、続いてほしいものである。