ぎをん齋藤
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人の為に生きる?

最近、人間の生きる意味はなんだろう?

どういう生き方が人として価値があるのだろう?

など妙に神妙に考えることが多い。

療養生活で一人の時間が多いから、どうしても人生を考える時間が増えてしまうからだ。

その結論が「人の為に生きる」だと早計に思ったが、さらに考え続けると人の為だと思っていたことが「自分の為に生きる」と勘違いしているのではないかと気付いた。

そう、人の為になんて綺麗事で、そう思う方が体裁がいいだけで欺瞞だと思うようになった。

ダウインの進化論によると人類(ホモ・サピエンス)は地球上の最先端の生き物とされている。

類人猿などは見た目も人類に近い形状をしているが知能や精神構造が劣り、生きている理由を求めない。

彼らは本能の赴くままに生きて死ぬだけである。

私は二度の生命の危機を乗り越えてきて、家族も異口同音に世の中にやり残したことを果たすために生かされているという、例えば仕事や後継者育成のために、などと言われると何となく納得してきた。

何か私の生死を支配する存在を暗示しているかのようである。

しかし今では生きているのは偶然で、なんの理由もない事かもしれないと思い始めている。

人間、誰でも自分が一番大切だから自分の利益を優先するのは当然だ。

家族や社員の為に働いていると言っても、それは自分の為にと同じことで勘違いである。