ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

人生を考える

毎日続ける1時間の散歩で考えるテーマは「自分て何者だろうか?」が一番多い。
勿論日々の生活の問題や悩みも考えるが、自分の人生の過去、現在、未来について考えることが多い。

そもそも「齋藤貞一郎」という名前を与えられた人間として生まれたのは勿論この世の偶然であったろうが、自我に目覚め、自分以外の人間と比べることができるようになってから、余計に「自分て何者だろうか?」と考えること多くなった。
歳を加えるほど、その疑問は大きくなり一向に答えから遠ざかるような気がする。
日本人として生まれ育つ中で生き方や美意識が備わり、知らず知らず特性や短所が身に付いてしまう。
同じ日本人と言っても育つ環境は大きく違っているのだから人それぞれの見方、意見が異なるのは当然である。
ただ遺伝子が近い配列になっているのだろうか?同じ国民どうしの「阿吽の呼吸」というのはあると思う。
我が国は飛鳥時代の昔から仏教立国を目指した時から人は死んでも「輪廻転生」、何かに生まれ変わると信じられて来た。
ただ功徳を積んだ人だけが輪廻転生を免れ極楽浄土で永遠の安らぎを得られるというのである。
故に自分が来世、鳥や虫や草花に生まれ変わるかも知れないから、優しい目で生き物を見るのが当然であったような気がする。
森羅万象、命のあるもの全てが「和をもって尊しとする」という聖徳太子の言葉は日本人の精神的支柱となったと思う。
この調和精神は優柔不断と誤解され欧米から指摘され糾弾されることもあったが、西洋式の「All or Nothing」が良いのかというと私は決して良いとは思わない。
話の方向がずれてしまったが私にとって過去、現実は理解しているが死後の世界に興味があるのだろうか?
身体は灰になっても魂、思念は生き続けるのか?
何か宇宙全体を秩序づける法則があるような気がするが死んでみないと分からないという事だ。
昨日の散歩で見かけた川で無心に遊ぶ子供たちに幸あれと祈る思いだ。