ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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勇退

いよいよ7月末には私も代表取締役を辞任するが、

齋藤織物(株)の川口秀一部長も同時に退職する事になった。

川口は満87歳、しかも元気である。

彼との出会いは45年を遡る。

それ以前は別の職人がその任に当たっていたが人柄が芳しくなく、私と喧嘩別れした。

織物に精通して若い職人を教育し、私の草案する織物を具現化できる力が無くては、彼の仕事は務まらない。

今の西陣に彼の様な能力を持った者はもういないのではないだろうか?

彼を知るきっかけは以前から齋藤織物の仕事をしてくれていた、ある職人の親戚で「才能があるから会ってみては?」と誘われたからだった。

彼が「ぎをん」の店に面接にやって来た時のことを鮮明に覚えているのだが、見るからに誠実そうで信頼できる人間だとすぐに分かった。

当時、織場がない状態で、やむなく知人の米倉を借りて内装を織屋風に改装して仕事は始まった。

生憎、蔵にはトイレは無く目の前の公園にある公衆トイレで我慢してもらった事を申し訳なく感じていた。

その当時はまだ高度成長期の最終局面ということもあって数多く帯が売れたので西賀茂にアトリエを構えるのに、それ程時間は掛からなかったが銀行からの借入金に追われる辛い毎日が続いた。

川口の織物を生み出す能力は大したもので、私は彼のことを「織物博士」と呼んでいる。

私の言葉と触感から新しい織物を生み出した、たぶん20種類、300柄くらいは作り出した様に記憶する。

一般的に織屋は数種類程度のヴァリエーションしか持たないのが普通だが「齋藤織物」の種類が多いのも川口の功績である。

お陰でアトリエの隣地120坪も買うことができ、「東館」と称する第二工房も完成させた。

彼とのコンビで全くの織物素人だった私も織物の良し悪し、作るコツがわかる様になり、

彼の指導により「羅」織を完成し「日本伝統工芸展」に出品して50歳を過ぎて「新人賞」を貰った。

語り尽くせぬ彼との間柄は私の人生の宝物であり、人との邂逅が人生を変えるものだと改めて確信させた。

ところで、彼の家は長寿の家系である、確か川口の父親も87歳まで元気だったが、彼はきっと100歳まで生きるだろう。