ぎをん齋藤
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本疋田が摺疋田へ、染めが印刷へ

江戸時代中葉から本疋田(本絞り)は少なくなり摺疋田へと移って行く。その理由は定かではないが二つのことが考えられる。

一つは幕府によって贅沢禁止の御達しが度々出され、そのやり玉に挙がったのが鹿子絞り(本疋田)であった。一目一目絹糸で絞って染められる技法は贅沢の象徴とされ、摺疋田へと移ったと考える。

もう一つの理由は需要の増大とコストダウンではないかと推測する。この頃になると多くの婦女子が絹の着物を着るようになり、平和を背景に需要は増大したに違いない。この需要に応えるには摺疋田は最適な手段であった。

これを現代に例えると染友禅が捺染、及びインクジェットによる印刷へと変わろうとしている。この変化の理由も安価な着物の需要増大にある。

絹の素材価値よりも化繊による安易なきもの姿に憧れる女性心理が原因して悪貨が良貨を駆逐する現象が起こっている。

これも時代の流れ、諸行無常と言ってしまえば、それまでだが、きものの歴史を知る者にとっては嘆かわしいとしか言いようがない。きっと江戸時代の絞り職人なども往時の変化を嘆いたに違いない。

かくて歴史は古き良き物を流し去り、それに拘泥する人間は時代から取り残されるのである。