ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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美しい布

美しい布を求め続ける私。

ふと私は着物が好きで飽きもせず染めたり織ったりしているのだろうか?と立ち止まって考えてみた。

しかしどんなに気に入った着物ができても自分で着ることはない。

女性をきれいに見せるために考案し悩んだり喜んだりしているだけである。

それで得たお金で私の家族や社員とその家族と職人の生活が成り立ってきたのだから、

立派に世間に自慢できる話である。

要するに私は着物が好きなわけではなく「布」が好きな人間だと合点がいった。

世界中の古いものから新しいものまで美しい布を見てきたたが、日本に勝る布はない。

日本人の本来持つデリケートな感性か四季の変化がもたらしたものか、

遺伝子に組み込まれたデリカシーか非常に細かいところに神経を行き届かせる能力が日本人に備わっていることだ。

ところが最近の多くの若い女性は深い所のデリカシーに欠け短絡的な判断で済ませてしまうのでは無いかと心配する。

物を深く見ないで直感で「かわいい」で判断する。

また、らしく見えるように作り方がより巧妙になってきた。

コンピューターを駆使してどんなに複雑な構図の物でもそれらしく作り上げてしまう。

その巧妙な作品に飛びついてしまうと、並んでみるとどれもこれも似たり寄ったりの物が並んでしまう。

時代がそうさせるのだから文句を云ってもしょうがない、時代と共に移り変わっていくのが世の常である。文化的には最悪だ。