ぎをん齋藤
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47年振りに「春の雪」三島由紀夫を読む

夏休みの無聊を慰めるために久し振りに「春の雪」を引っ張り出して読む。学生時代この本が出版され私は夢中で読みきった事を記憶している。

読み終え、もし自分に女の子が生まれたら「聰子」と名付けようとその時決めた、そして後年、長女の名を「聰子」と命名した。それほどこの悲劇のヒロインに傾倒してしまったのである。子供っぽいと笑われるかもしれないが、事実だからしようがない。

今回読み返して三島美學の素晴らしさに二度目の感動を覚えた。流れるような格調ある文体で描かれる華族世界の表と裏、主人公「清顕」の繊細すぎる美醜への感受性、そしてヒロインは仏門に入り、主人公は死を迎えるという、ありそうな結末だが一気に流れに引き込まれる。

現代の純文学は余りにも日常的すぎると感じている私には久し振りに重みのあるしっかりとした後味を残してくれた。現代文学が「お茶漬」なら三島文学は脂の乗った「ステーキ」のように。

ご存知のように「豊饒の海」三部作が完結した後、彼は市ヶ谷の自衛隊駐屯所で割腹自殺をし自らの美学を完結させる、この事件によって「三島由紀夫」の名と「聰子」が私の脳裏に深く刻まれることとなった。