ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

古希すぎて…

この度、ホームページで載せるような事でもないのですが、いつも展示会等でお目にかかっているお客様に少々私の事を識ってもらえたらなぁ…と思い立ち、勝手気ままに書きとめて参る事に致しました。

どうぞ時間つぶしに読んでいただけたらと思います。

 

ことしの春はステイホームで想定外、人生はじめての長い休み時間をもらい、何とかこの時間を有効活用しようと思い立って家中の整理をはじめたところ、私にとって思い出深い写真やら品々がたくさん出て参りました。

思い返すと私も昨年古希をすぎ、京都に嫁いで家業につき四十年余り、三人の子どもたちも自立してそれぞれの道を歩み、時間の過ぎ去ることの速さに改めておどろきました。

もともと生家も商売をしており、商いが好きな私は、仕事をすることには何の抵抗もなく、むしろ早く仕事がしたくてうずうずした育児時間から、二十四時間仕事が出来るよろこびでいっぱいでした。

 

朝一番に祖母がお仏壇に火を入れて読経をはじめ、義父が家の角々に柏手を打ち、何やら口の中でボソボソと唱え、主人と私が店中の掃除を終えて、のれんと軒下行灯をかけ、表の道路に井戸水を威勢よく撒き、一日がはじまります。

当時の新門前通りはまだ骨董屋さんは少なくて、職人さんやお茶屋づとめの人が多く、朝七時ごろはまだ眠りからさめない静けさの中を、おとうふ屋さんのラッパと新聞配達の自転車のブレーキのみが響いているような様子でした。

東山の山々は朝陽に緑々として、とても気分が良いのですが、足下のアスファルト道は早くもさっき撒いたばかりの井戸水を飲み込み、今日一日の暑さを感じさせます。そんな中、地上を走る京阪電車は通勤客を大阪へと運び、変わらぬ日常がはじまっていきました。

 

祖母の読経は綿々と続き、あの小さく縮んだ丸い身体の中から不思議なほど大きな声が静かな通りまで聴こえてきます。  「ああ、おばあちゃん、今日も元気で良かった…」 とホッとした事を思い出します。

義父は生涯洋服を持たず、戦時中に国民服を着たのみと聞きました。そんな義父ですから商売での着物談義には説得力があり、私が学ぶことも実に多種多様に渡りました。もちろんお客様からも一目おかれておりましたが、時にはお客様に一声も発させず自分のセンスを押し通す強さもありました。

 

このころ私が三十三歳くらいでしょうか。