ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

習い事の大切さ

新しい年を迎えても、引き続きコロナが収まらず不安な一年がスタートしました。

例年なら年末年始は毎年東北岩手のスキー場で家族みなで新年を祝っていますが、本年は京都でステイホームですから、久々に京都観世会の謡初式を、本年はコロナ禍のためライブ配信にて拝見し、一年の無事と稽古精進の誓いを致しておりました。

私が謡いの稽古をはじめたのは五十二歳の時で、仕事がひと段落して子供たちも社会へ送り出した時にふと…これからは自分自身を見つめ直す時間を持とう…と思いつき、それまで茶道と書道はお稽古して来ましたが、以前より興味があった謡いを本格的に勉強したい!…と一大決心のもと、町内で日頃から存じ上げている観世流シテ方十世片山九郎右衛門先生に入門することを決めました。
片山先生は私が京都へ嫁いだ頃はまだ可愛らしい小学生で、茶色のランドセルで通学していらっしゃいました。入門当日、町内の親しみから一変して師弟関係となり、私は居住まいを正して九郎右衛門先生に「お稽古を幾久しくお願い申し上げます。」と深々と頭を下げた時、ハッと、この一瞬の姿勢が人間として大切な型なんだ!と痛感しました。

私のように古希を過ぎれば世の中を俯瞰的に観る事が多くなり、面倒な事、言い訳をするような事、等はもうイヤ!もっと楽に生きたいと思う人が少なからずで、中には「この齢で他人に頭を下げるのはもうイヤ!」と断言する人もいますが、私はこの現実とは真逆で、高齢だからこそ改めて頭を下げて、自分を見つめ直す事で新しい人生の楽しみが見つかったのです。

学生時代、大嫌いで授業中居眠りばかりしていた古典が、謡いを始めてだんだんと文章に慣れて来ると、日本の風土、日本語の美しさや、日本人の心の機微の繊細さ等、心にジーンと浸み渡る感動的な文章が身体の中に流れ込んで来ます。
今日まで欧米文化に引きずられて来た我々日本人が見失っていた本来の日本的、東洋的感受性を取り戻したような気分となって、自分自身を見つめ直し、そして周りの人々を敬い尊く大切に思う心を習得出来ます。

能は難しく「理解できない…」とおっしゃる方が多くいらっしゃいますが、笛、小鼓、大鼓の三者のリズムが身体の脈拍に合わせて、曲の流れの中へ導いてくれます。
まるで母胎の中の鼓動のようで、だんだんと心地良くなり…心拍が落ち着き、大変興味深いリズムです。

師匠と対峙してのお稽古はビーンとした緊張感が健康の秘訣で、私のボケ封じと思い、これからも精進します。

私の生涯学習です。