ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

やっぱり京都は良いところ

京都に住んで半世紀が過ぎ、すっかり日常生活が当たり前の毎日となりました。出張で他県へ出かけても、帰りの新幹線が京都駅のホームに滑り込むと実にホッとして「やれやれ、帰って来たわ…」と思うだけ心が落ちつく場所となりました。

私が嫁いだ頃は町並みも朝方はひんやりと静けさがあり、家々の軒下も低く、ひっそりとした佇まいの中に人々の優しい京ことばの挨拶の声が聴こえて来ましたが、今では高層ビルと変わり、ネオンの光の中では忙しく、慌ただしい掛け声に移り変わりました。時の流れの中で日常生活の営みが変化すれば仕方がないのでしょう。

(写真は京都へ来て間もない頃、祖母と義父と)

代々京都の人々は永年一定の場所で住み続け、家業を継続していることが評価基準となり、「あの人は何処どこの○○さん…」と明確に判ればすぐに受け入れてもらえるのですが、故にその逆もまたあるわけです…。

近年他府県からの資本が多く入り込み、雑多の市井になりましたが、京都人はじっと静かに傍観しながら、しかし内々にはっきりと区別して上手に共存共栄を旨としています。

表面的な争いを好みません。相互の利益を大切に繋がりを保ちます。これが京都の文化であり、歴史から学んだ「大人のつきあい」「身のかわし方」なのです。

私も当初はこの気質が解らず右往左往して、結局問題を主人に全部解決してもらった事が沢山ありました。関東育ちで生粋の甲州人には手を焼いた事と思いますが、まあ夫だから仕方ないです…

 

また一方で私は習い事を通じて伝統芸能の中にある歴史、文化を家元直々の手ほどきでお稽古できる贅沢さを有難く思い、この「京都」が肌感覚で在るのです。これは生まれ育った山梨にも、学生時代を過ごした東京にもありません。

このような有難い京都ですが、一般的に世の中では「京都人は馴染みにくい…」とか「他人行儀…」とか「何考えてるのか解らない…」とか、いろいろな悪評も聴きますが、本質はこれも文化の一味で礼節なのです。裏を返せば相手の実生活に入り込まない心づかいなのです。

この様にして五十年過ごして、鴨川から北山、東山を見渡せば、私にとってやっぱり京都は良いところで、世界一の住み易いユートピアとなりました。