ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

人生の賞味期限

昨今、医療も進み、現代人の寿命が百歳越えの時代が来ました。

喜ばしい反面、老後の人生時間をどのように過ごすかが大きな課題となり、各種紙面にはこの解決法を取り上げた数々の宣伝が載っています。

 

最近、私はつくづく思うのですが、学業を終え、一般社会人となり、現役労働が始まります。その間、試行錯誤の人生の果てに、退職と同時に「老後」と称される期間に入って三十年近くある訳ですから、その過ごし方が難しい問題となり、我々世代は切実に悩む事となります。

しかし私はこの「老後」三十年間が「人生の賞味期限」の始まりだと受け止めています。その理由は「美味しい料理一皿」に譬えると、食材、調味料など吟味して、味付け、盛り付けに心を配り、失敗を繰り返しながらやっと納得した「極上の一皿」が完成して賞味するのですから、丁度「現役社会人」を完成させてから「極上の老後」に入るのだと思います。

 

老後は寂しくも悲しくもなく、この瞬間から「人生の賞味」がはじまり、楽しく充実した味わいのある期間になるのではないか…と私なりに解釈しております。

多趣味な私は周りの多くの同世代友人たちと楽しむ事を最優先に、唯今「人生の賞味期限」の真最中です。

「ああ、幸せ! 楽しむコツは多趣味であることかな…」

落花枝に帰らず…然れども

この五月、三年振りに私の「謡い会」がコロナ前の日程に戻り、五月晴れの清々しい一日でした。演目は素謡い四十五分間の「屋島」でしたが、実にタイムリーにNHKの大河ドラマ「鎌倉どの…」も壇ノ浦シーンと重なりました。

この「落花枝に帰らず…云々」の文章は一般的に皆様の御存知の通り、数々の同意熟語がありますが、能の中での解釈は、一度死んでしまえば二度と生還はかなわず…と言う意味で、現世での犯した罪は業因となり、死後も苦しむ事となるが、しかし素直に万物のありのままの姿を受け入れたら浄土へ導かれるという、仏教的内容の物語です。

 

私がこの「屋島」を謡う事となり何とか作者(世阿弥)の心境を理解する為に読み返して学んだ事は、この世の人々との絆、縁を大切にそして優しく許す「心の広さ」を持つ心構えは、自分自身の人生の「要」であると言う事でした。

今回の舞台での私の着物は「屋島」に因んで弁慶格子の袋帯、着物は源氏雲に唐花をあしらった一式でした。演目に合わせての衣装選びも愉しいひとときでした。

たまには気分をかえて…

私の平日は、朝八時四十五分には店に行き、店内及び外周辺の掃除を完了した社員と朝礼をしながら、私は社員の健康状態を視認します。

午前中は一日の仕事の段取りを決めて職人さん達への仕事の配分、指図などしながら、顧客の希望、期待に応えるための新しい作風や図案等を熟慮します。

週末になると仕事から解放されて自由な時なので、たまには気分を変えて心持を一転して、洋服から着物に着替えて友人たちとお出かけですが、仕事中の着物からお遊びの着物に変えます。手元の着物選びは実に浮き浮きと「あれや、これや」と、派手になったとかまだ着れる…などと、組み合わせが楽しいひとときです。

 

現代、多くの女性が仕事と家事、育児を両立させて社会で活躍していますが、そのような女性は高学歴、高能力で社会的地位も高くなり、管理職にも就き、それに伴う高収入により自立して来ました。そのような女性たちがやはり私と同様に週末になると気分転換に着物をお召しになり「いつもと違う自分!」に変身してお出かけして、仕事への英気を養う姿を最近見受けられるようになりました。

この様な女性たちは気分転換の時間配分について男性より計画性も有り、積極的、そして現実的に実行しているように感じます。

私の幼少期に比べて時間の流れ去っていく速さの違いを想う時、現代女性の実行力が無いと、やはり、時間の速さと社会の競争力についていけないのでしょう…。

 

私のように人生の後半に来るとその気分転換が体力、気力に大きく作用するので、同じ世代の人々と比較して格差が生じて来る気がします。これは私の実感です。

 

さあ、次の週末はこの一組を着て、出かける事に決めました。

着物:紬 扇面桐絞り    帯:二部式 桃山藤絞り