ぎをん齋藤
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きもの芸術展をみる

先週末、京都市京セラ美術館にて開催された「きもの芸術展」に行ってきました。

主に京都で活躍する染匠(せんしょう、つまり着物づくりのプロデューサー)さんたちが、各々の作品を持ち寄って一堂に展示する、毎年恒例の会です。

新型コロナの影響によって延期されてしまいましたが、東京五輪を前に参加国をイメージした振袖や帯の展示も続けて行われ、この週末は多くの人に「きものづくり」の最前線に触れてもらう機会になったのかな、と思います。

こんなことをブログで書くと怒られそうですが、僕は「芸術」という言葉を使うことに少し抵抗を感じるタイプの人間です。この仕事をする前に、趣味で仲間たちと音楽活動や舞台公演などをしておりましたので、そういうことに縁遠い方からは「芸術活動」なんて言っていただけることもあるのですが、当人たちからすると「芸術」なんていうのはおこがましい限りでして、あくまで趣味の域を超えないクオリティですし、それを生業にするプロの質には遠く及ばない訳で、またプロの中でも色んなレベルの方がいて、さらにその中で革新性あるアイデアやセンスを兼ね備えた存在というのは稀で、畢竟「芸術」と呼ぶに値しそうなパフォーマンスというのは、失礼ながらほんの一握りしかない訳です。

ただ、戦後数十年続くグローバル化と個人主義の浸透にともなう「価値観の多様化」という強力な後ろ盾を得て、「ものの良し悪しは感じる人次第」という原則があらゆる分野に果てしなく援用・拡大解釈されて、ごくごく普通の一般人でも「俺が芸術と思ったら芸術と呼んでいいんだ!」と声を大にして言えるようになってしまいました。

そういう文脈においては、誰が何を「芸術」と呼ぼうと勝手な訳ですが、僕の物差しでは、同時代の同業他者と比較して「技術の卓越性」と「着想の革新性」の両方を満たさないものは「芸術」と呼ぶに値しないと考えております。

その意味において「ぎをん齋藤」のきもの・帯は「芸術」ではありませんが、いま主人が取り組んでいる「摺箔」シリーズに関しては、今後「芸術」になり得る可能性を秘めていると思っています。そのためには「技術の卓越性」を担保する制作現場の監督業務を、妥協無く、こだわりを貫くことが必要と、我が身を顧みて気を引き締め直す週末でした。