ぎをん齋藤
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琳派~RIMPA?~

暑さ寒さも何とやら…と申しますが、お彼岸前に急に涼しくなって来たかと思いきや、連休を挟んでまた暑さが戻って来たようでもあり、体調を崩しやすい時季になりました。皆様どうぞご自愛下さい。

先日、大徳寺塔頭の一つ「聚光院」に行って参りました。狩野永徳やその父・松栄の描いた障壁画や「利休好み」とされる二つの茶室など、国宝や重文をガイドさんの解説付きで見て回り、短い時間で濃密な体験をさせていただきました。

境内は撮影禁止でしたので、上の写真はパンフレットを引き延ばしたものですが、卓越した筆致や細部に至るまで計算し尽された構成の妙に圧倒されました。

ところで、狩野松栄・永徳の親子は当然ながら「狩野派」の画家ですが、日本において書画や歌舞音曲などの芸術の諸流派は、世襲を基礎として厳格な師弟関係の規定により構成されることが一般的です。もちろん血縁によらずに技術の精髄や活動を支える組織を継承していく場合も多くありますが、それでも一人の師匠から「一番弟子」ともいうべき者一人に対して、流派の看板を託し、門下の生徒が集い、その連なりがまた流派を形作る…という形式は共通しています。

そのような文脈においては、弊店の陳列会テーマに掲げてもいる「琳派」という日本画家の集団(集合)は、絵画の「一流派」とは言えないかも知れません。酒井抱一に端を発し、鈴木其一、池田孤邨…と連なるいわゆる「江戸琳派」と呼ばれる人々については、流派とみなせるかも知れませんが、狩野派や土佐派、円山派、などと比較して琳派を語るのは難しいような気がします。

琳派の最大の特徴は、その「私淑」という独特な継承形態にあると思いますが、ものすごく乱暴な表現をすれば、誰かが琳派っぽい要素を含んだ絵を描いて「俺は琳派だ!」と主張すれば、誰でも琳派になり得る、というある種の敷居の低さ、門戸の広さこそが、今日に至るまで「琳派」という言葉が現役として生き続けている理由かと思います。

大衆音楽の分野で言えば、リトルリチャードやチャックベリーと面識がなくとも、ハウリンウルフやBBキングに教えを請わずとも、彼らの音楽に触れ、模倣することからビートルズやストーンズが生まれ、星の数ほどの追随者を従えて「ロック」という巨大な文化を構築するに至った経緯を連想します。

先日、ぎをん齋藤の古裂コレクション展でお世話になった「細見美術館」さんの次なる展示は、まさに「現代の琳派」と称される作品群を紹介する会となっていますが、ここまでいくと、我々の仕事の範疇を出てしまうかな…という感じがします。

一方で、先述のロックの例を引き合いに出すと、現代の大衆音楽シーンにおいて、ロックの発展の過程で生み出され様式化されて来た、楽器構成だとか、リズムだとかコード進行だとか、の影響から完全にフリーな楽曲を探す方が困難なほど、そのエッセンスは広く深く人々の心に刻み込まれており、もはや「ロックとは何か」を定義するのが無意味なほどの多様化、一般化を遂げています。

日本絵画史上における琳派の立ち位置も、そのようなものになり得るとすれば、このようなぎこちない(と田中は感じます)形での引用に留まらず、更に多様で複雑な形で「琳派」が引用され、翻訳されて進化していくのかも知れません。

我々は呉服屋で、それもどちらかと言えば「変わらないものの良さ」を追求するタイプの価値観のもとでお商売をしておりますが、移り変わりゆく時代の動きもしっかり捉えながら、

初音ミクと若冲のコラボもあるそうなので、怖いもの見たさで行って来ようかと思います(笑)