ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

齊藤康二

齊藤康二

  • 月を選択

京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
◆お問い合わせ
ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

貴重な職人文化

この春からぎをん齋藤はようやくすべての催事を再開し、またエンジンに火を入れ直して再スタートである。

そのためもの作りに関しても各職方へ染め出す点数を少しづつ増やし、平時の状態に戻していかなければならない、

なぜならこのコロナ禍で職方も大きな損害を受け、存続さえ危うい職人も出てきているのが現状だからである。

また何より大きな問題は、職人の伝統技術は本人以外即戦力として代わりが効かない、そして後継者の育成にも相当の時間と

費用がかかり、志す人材も減少しているという実態がこの数十年の間に浮き彫りとなってきた。

とりわけ我々がお付き合いさせていただいている職人は専門分野にとどまらず、あらゆる分野で才能を発揮され

そのセンスと技術は唯一無二、繊細な仕事は彼らにしかできないほど貴重な存在なのである。

ここ数年、彼らに骨のある仕事を出せなかったことはしっかりと反省しなければならないと思っている。

御年65歳、金彩を専門とする傍らあらゆる材料を使いこなし芸術的な仕事をする

彼もエリート集団(職人)の一人、美術をこよなく愛し、20代の頃は一日9時間

毎日デッサンをしていた。

この摺箔の中の細かい描き絵にも注目していだたきたい、すばらしい仕事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辻が花に挑む

この6月から私はまた秋冬のもの作りに励んでいる。

今、特に力を入れているのが染物の花形、”辻が花”。

といってもその文様は多種多様、単純な絞りの染め分けから格子模様、また草花を精密に細かく

絞り分け、侘びを出すため描き絵を施したものなど、文化と時代に沿ってその伝統技能は発展し継承されてきたが、

江戸中期になると技法はますます細分化され、合理性を求めるようになりついには姿を消すことになる。

絞りは遡ること奈良時代、”纐纈”(こうけち)と呼ばれるごく単純な絞りから始まる。

それから中世に入り、室町末期に草花を絞り染によって表現したものが登場し、桃山の初期から

江戸の中期になると、絞りに刺繍や摺箔、描き絵(虫喰い)などを加えてより贅沢なものとなり、

当時上層を占める武家の生活の中で欠かせない装飾品として広く活用されていた。

その辻が花、実は名の由来は定かでない。

これまで、これが”辻が花”であると記録が添えられた実物遺品は一点もなく、

厳密にいえば正確な答えが見つかっていない。

明治か大正の頃、その魅力を見出した数奇者によって命名された、言わば造語であるといわれている。

また一説には室町初期、当時最先端の流行りものが一番に出まわる都、京都の地名辻が端(花)から

その名称が生まれたという噂もあるが、これもどうもこじ付けのように聞こえる。

如何にあれ、辻が花(つじがはな)という美しい響きはその絵画的な魅力にぴったりである。

話を戻すと絞りより刺繍や友禅の方がよっぽど高い技術が必要と思われるかもしれないがそうではない、

一番大きな違いは刺繍や友禅の色調は加工途中でも調整できるが、絞りはいったん桶に入ると

解いて伸ばしてからでないと出来栄えがまったく分からず、また手直しもできない。

いわば出来不出来は一発勝負、その人の知識と経験、そして感性が問われる代物なのである。

これからじっくりと構想を練り、辻が花本来の美を引き出せるよう感性を磨き体得していく。

 

 

三ツ星のおもてなしを目指す

先日、遠方から若いお客様が3名来られた。

京都観光の初日にも拘らず、真っ先に予約をとって朝早くから来られたことを思うと、

よほどの着物ファンだったのだろう。

ご存じのように当店は典型的な京町屋の商売、よく目にするショールームはなく軒先には

齋藤の暖簾と行燈がかけてあるだけで、一見何屋か見当も付かない緊張する店構えである。

まして若い方には暖簾をくぐるのも勇気がいっただろうが、それでも遥々よく来てくれたとこちらは大歓迎である。

それから小一時間、着物を前に会話も弾みお帰りになられたが、実は普段も着物を着られる

上級者で、知識もあり、よくものを見ていたので感心した。

昨今、コロナ禍で着物需要はめっきり減少したが、このような若い世代の方々が着物に興味を持ち、

高価なものと承知の上”こういうのが着たい、この色目が素敵!”と自分に重ね合わせ、

将来を思い描いてくれたことがとても印象に残り、私にとっても新鮮な時間であった。

よく社内でも接客について意見を交わし、最善のおもてなしを心掛けるようにしている。

それはあれやこれや、無造作に商品を畳一面に広げることがおもてなしではない、

お客様が見たいもの、本当に望んでいるものを会話の中から探り当て、これぞ!という品を

タイミングよく出してくるのが京都の商売、老舗本来のやり方である。

打てば当たる方式で、数だけ見せて選んでもらうという単純なものではない。

おもてなしという曖昧な表現の裏には人の心を打つ”感動”がないと本物の客商売とはいえないのである。

我々はミシュランの三ツ星を目指していく。

(三ツ星:そのために旅行する価値のある卓越した店)