ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
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TEL:075-561-1207
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光陰矢の如し

間もなく2023年も終わりを迎える。

今日の日経にG7加盟国において日本のGDPはイタリアに抜かれ、14年ぶりに最下位になったとの記事を目にした。

経済大国「昭和の日本」、政治も含め世界を牽引してきた強い日本、また復活できるのだろうか、、、

記憶に新しいのはそれこそ国民が期待していた強い日本、WBCで侍ジャパンが14年ぶりに優勝したことだろうか。

今年の3月は経済効果も含め侍ジャパン、大谷選手のおかげで日本中大いに盛り上がった。

さて、皆さんにとって2023年はどんな年だったでしょうか。

我々ぎをん齋藤にとっては先代の三回忌も無事に終わり、会社もようやく転機から飛躍に向けて全ての環境が整い、

これから邁進していくための力を蓄えた三年間の一部、貴重な一年となった。

しかし一年とはあっという間であり、周りを見てもそうだが私も最近時間が経つのが一層早く感じる、

と同時に”老い”ということにも敏感になってきた。

来年は自分自身、健康にも気を付けて会社と共に邁進していきたい。

本年はたいへんお世話になりました、皆様もどうぞお体に気をつけて良い年末年始をお過ごしください。

来年またお会いしましょう!

<ベージュ地 色留 雲取鶴に松竹梅>

 

光陰矢の如しとよく言うが、心理学ではジャネーの法則というらしい。

<生涯に割り当てられた時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する>

例えば、50歳まで生きてきた人間にとって1年の長さ、時間の感覚は人生の

50分の1だが、5歳の人間では1年は人生の5分の1に相当し、

50歳の人間の10年は5歳の人間の1年に相当する。

よって50歳の10日は5歳の1日に相当するというのが理屈である。

確かに歳を重ねた人間のほうが時間の感覚は短いように思える、いわば一日経つのが早い

感覚になるのでしょうか。

余談でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

失われる尊いもの

1947年のパレスチナ分割決議を経てユダヤのイスラエル建国宣言から戦闘は激化し、アラブ系住民は居住区を失い

ヨルダン川西岸地区やガザ地区へと追いやられた。

イスラエルの侵略と居住区の占領、過激な行動に対する不満の末、多くの犠牲者と難民を出してきたパレスチナ問題。

オスマン帝国から独立したアラブ人と、ホロコーストによるヨーロッパから差別や迫害を受けてきたユダヤ人、

人種が入り混じった植民地の対立は長い歴史と共に”かなわぬ平和への願い”として今に至る。

そしてまた今年10月にイスラム組織がイスラエルに奇襲攻撃をし、ガザ地区の中心一帯がイスラエルのミサイルに

よって破壊され、約9000人以上の住民が犠牲となりその約65%が女性や子供という悲惨な戦況となっている。

「天井のない地獄」と呼ばれていたガザ地区でなんとかその日暮らしをしていた住民が今回の”報復”でまた犠牲となり、

布でくるまれた幼い子供を抱いて走り回る大人たちや、砂埃の中から血まみれで掘り出される犠牲者の映像を見ると

何と悲惨で非情な行為を繰り返しているのだろうと、日本という平和ボケした国で暮らしている私は痛々しい

ニュースを画面越しに今起こっている事実を受け止めるしかない。

到底、彼らの長い悲惨な歴史における迫害や犠牲、宗教や人種による差別や憎しみといった事情は当事者にしか

理解できないであろう、民族の勝利のため、宗教への尊厳、また血で血を洗う戦争は何度も繰り返されるというが、

例えば200年前のような手作りの鎧を身に着け、槍や刀や鉄砲で敵味方が交え野原を走り回る戦争とは訳が違う。

近代兵器の開発は目覚ましく、化学兵器や核兵器のような国そのものを消滅できるようなものまで登場している

現代の戦争は、必ず多くの犠牲者が出る「無差別的な戦争」といっていいほど新型兵器で街を一掃するのである。

もはや虐殺行為にしか見えないのが今の戦争。

血をみるのは弱者でトップはアイロンのきいた制服を着て逃げ切るのが常套手段、こんな不条理なことが簡単に

起こってしまう世の中、バカな話になるが国のトップ同士が数名トーナメントでやり合うという案はどうだろうか。

それを冷静に傍観してみたいものである。

兎にも角にも平和が一番、ガザ地区を含め世界で起こっている血には血をという戦闘行為はもはや何の意義や定義もなく、

勝ち負けのない損得だけの個人的なエゴイズム、野蛮行為でしかないと思わざるを得ない。

失われる多くの犠牲は、取り返すことのできない何よりも価値のある美しいものだといつになれば気がつくのだろうか。

 

 

 

 

 

宮島での献茶会

昨日、幸運にもあるお茶会にお招きいただき、参加することができた。

舞台は広島、厳島神社で有名な宮島の山奥に西暦800年、平安・桓武天皇時代、空海によって

開山された真言宗の大本山である大聖院(だいしょういん)の「雪舟園」にて厳かに行われた。

大聖院は船着き場から右手の厳島神社を抜け、大願寺を正面に今度は左手の山道をゆっくり

登っていくと荘厳な木造建築の山門が行く者を憚るかのように待ち構えている。

また、平安建築の特徴である和様の伸びやかな山門の両脇には不動明王が阿吽の呼吸でこちらに

にらみを利かせ、思わず一礼して恭しく石段を上っていくとようやく境内が見えてくるのである。

さて、本題のお茶会、名は「譲翁茶会」。

勿論、広島なのでお家元は上田宗冏(うえだそうけい)宗匠、1560年安土桃山時代からなる上田宗箇流の武家茶道である。

お席は雪舟園にて午後2時から始まり、薄茶・展覧・点心・濃茶と茶室からお庭までしっかりと手入れの行き届いた

室礼の中、夕方までじっくりと茶の湯を満喫することができた。

また、お道具も詳しくはお伝えできないが、そのほとんどが室町から桃山にかけてのものばかり、

本来博物館、もしくは美術館でガラス越しでしか拝見することができない代物を小生には罰当りかもしれないが

間地かで拝見でき、また正客席はそのすばらしい茶碗で頂けるという、人生滅多にない得点まで付いてくる。

言葉では表現できないほど美しい、あえて言えばベージュに近い地色で、繊細で肌理の細かいふっくらした桃山茶碗に

ねっとりとした濃茶が点てられ、それを古帛紗と一緒に両手で抱えたとき、”本来無一物”とは言え

おもわず手が震えたのはその日一番の感動と緊張であった。