ぎをん齋藤
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一つの仮説

染織の歴史を辿ってみると、中国と日本における発展の違いに気付く。絹糸と絹織物の原産は中国だが、9世紀の遣唐使廃止以後に日本の進む方向が変わったと考える。


 源氏物語絵巻(12世紀)より

中国、隋、唐時代(6〜10世紀)絹織物の頂点を迎え、錦織をはじめあらゆる織物が花開いたが、染物についてこれといった品は刺繍以外見当たらない。

一方、日本が渡来系職人の指導により彼等にも劣らぬ織物を完成させたのは天平時代(8〜9世紀)であったが、遣唐使の廃止以後日本は国風化が起こり漢字から仮名文字を編み出すと同じように絹は織物から染物への利用が多くなったと私は考える。

なぜこのような違いが生じたのか?

その答えの一つが「水」ではないかと考える。中国文化の中心は中原(ちゅうげん)にあり、現在の河南省辺りを指すのだが、あの地域は良い水に乏しい地域である。染物にはふんだんな水が必要で染め上げるまでに大量の清水が必要となる。

一方織物や刺繍は糸さえ染めておけば場所があれば仕事にかかれる。この差が両国の染織文化の違いを生みだした大きな要因だという仮説である。

生憎「辻ヶ花」以前の染織品が未だ国内で確認されていないが、鎌倉時代に描かれた絵巻物には几帳に秋草のようなものが描かれたり女性の小袖に絞りの鶴のようなもの描かれていたり、有職衣装とは別に私生活で使用された素晴らしい衣裳があったはずである。


 春日権現絵巻(14世紀)より

日本の染織史を完成させるためにも9世紀から13世紀の遺品が発見されるのが待たれる。