ぎをん齋藤
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杉本博司私の履歴書を読む

日本経済新聞に連載されていた私の履歴書を読むのを毎日楽しみにしているたが7月31日を以て終了した。

彼は東京の下町の生まれとは聞いていたが立教の小学校に入学する位だから所謂お坊ちゃんである。

私のように地区の小学校に入るとは大違い、京都の下町でもお坊ちゃんはキリスト教系の小学校に通ったもんだ。

昭和30年頃と言えば運動靴も買えない家庭が多く、裸足で通学する友達も結構いた。

私は平均から言えば中の中クラスの家庭で革のランドセルを背負って入学したが3日目にフタをナイフで切り裂かれた。

悲しかったがまだ妬みを理解していなかったので何故こんな事をする人がいるのだろうと他人事のように修理してもらって6年間使ったものだ。

彼の記憶力は恐るべきものである。

上記のような大きい事件は流石に記憶をしているが、私の場合、それ以外の日常生活などはほとんど記憶がない。

もともと過去の事象には興味がなく、未来を夢見るタイプなのであるが記憶力の優れた友人と昔話などを始めると自分は記憶喪失の病気では無いかと不安になる。

彼が亡き奥さんのために着物を買い求めてくれた時の様子も全く覚えがなく先日のメールに彼の受賞を記念して白地のきものを買ってくれたらしいがはっきり覚えていない。

彼は優れた記憶の持ち主で有ると同時に文筆家としての能力も持ち合わせていると評価する。

才能豊かな人間はそうしたことがよくある。

チャップリンは素晴らしい映画監督でありアクターでもあるが、素晴らしい作曲家でもある。

杉本さんにも天賦の才が備わった人なのだろう。

読み終えて私が感じたのは彼の好奇心は蓄積された豊富な知見を伴って天空と時空を駆けめぐっているのである。

もはや誰にも止められない火の玉なのだ。