ぎをん齋藤
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泉田玉堂老師に問う

以前から時々ブログにも書いているが私の茶友であり、息子の師である泉田玉堂老師が久しぶりに京都においでになり、

最近のご様子や「摺箔」の評価を得た次第だ。

老師は奈良の大宇陀にある大徳寺の塔頭「松源院」にお一人でお住まいの身だが、大徳寺の頂点を極められ「室号」をお持ちの高僧である。

今回は特に私の病気見舞が目的でこられたのだが、私は摺箔の高評を得たいと出にくい声を振り絞って話すのだが、老師は随分と耳が遠くなられたので家内が通訳となって1時間ほどお話をしたが、終わったらグッタリとしてしまった。

私は老師に問うた「無の境地で作品を作りたいのだが、どうしても俗物的な物しか作れない。どのようにすれば無の境地に到る事ができるか?」と。

師の答えは「答えは全て自分の中にある、考えて、考え抜いた時に無の境地に到ると。」なるほどと私は合点が入った。

反省すれば七曜の「木」は老松と早くに決めていたが、これは着物を作ってきた俗人「齋藤貞一郎」の発想で「木」を更に哲学的に熟考すべきであった。

今一度、摺箔で表現すべきモチーフを熟考するのが、これからの私に残された仕事だ。