ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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私の古裂活用法

人はいつも新しいものを求める。目新しい物をいつの時代も求め続ける性を人は持っているものである。

 

最新モードのデザイナーは新しいコンセプトを提案し形にして見せてくれる、それを女性は喜んで受け入れる。ドイツの高級車も7〜8年でモデルチェンジしドライバーはその目新しさに惹かれ、見飽きた車を捨て去る。

 

 

これは現代に始まったわけではなく桃山時代にも既にその動きは見て取れる。15世紀、突如、現れた「辻ヶ花」は当時の人を魅了したが、年々目新しい変化を繰り返し、50年後には「疋田絞り」に席巻され、以後、再び歴史に登場することはなかった。

 

古裂を眺めていると捨て去られた技法の中にドキッとするような「美」が存在すると気付く。私が古裂を再現する作業は「復元」を目指すのではなく、消滅してしまった良き時代のエッセンスを現代に蘇らせる作業である。

 

物は確かに人の手で作られるのだが、その人は時代がつくる、言い換えれば「物は時代が作らせる。」という持論を自得するために古き良き時代の感触を自分の手で感じる必要がある。それを復元と称しているが「真似て」いるという方が正しいかも知れない。

 

古い物が全て素晴らしいか、と言うとそうではなく愚作もあれば、明らかな失敗作も現存するが、殆どの物が意匠力、表現力、技術において今のものより格段に素晴らしいと認めざるを得ない。

 

NHKの取材オファーを受けて私が行ってきた仕事を改めて検証した結論である。