ぎをん齋藤
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続「量から質へ」

上記の滑稽さの裏に何があったかと考えると「絹は高価な物」という錯覚があったように思える。

シルクロード交易で中国から輸入される生糸が金(きん)の重さと等価であった時代は遥か昔の話で、昭和も中頃を過ぎるときものの財産価値は無いに等しく、有ると錯覚していたきらいがある。


さらに正式な場所ではきものを着用するというコンセンサスが一般的であったので、嫁入り衣裳は財産分けの意味もあって花嫁の実家がいかに裕福かを表す象徴とされていた。

そういう風潮に誰も疑問を抱かず呉服屋の言いなりに買っていたのだから呉服屋は儲かって当たり前、作れば売れるという夢のような時代が到来し長者番付の筆頭に西陣織の社長が名前を連ねるなど信じられない時代が現出した。

京都ばかりでは無く地方都市へ行くと商店街の中心に位置する場所は間口の広い呉服屋が占めていることが多いのも当時の名残と言えよう。

それに比べると現在の呉服業界は栄華の名残りさえ感じられない疲弊振りが目につく。量が売れないのは当たり前だが質の高いものでも不当に低い評価に喘いでいる職人たちも多い。

せめて良いものだけは残したい。