ぎをん齋藤
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金(きん)の時代

マネーではなく黄金という意味である。黄金が主役であった時代というと、まず頭に浮かぶのは桃山時代、太閤秀吉は「聚楽第」という別荘の屋根瓦にも金箔を貼りつけた。遡れば「織田信長」が建てた「安土城」も最上階は黄金に輝いていたというから天守閣の屋上に「金閣寺」を置いたようなものと想像すれば良いのか。

 

更に遡れば平安時代も黄金に輝いた時代であった事を「平家納経」の料紙や中尊寺の「金色堂」を見ても想像に難くない。残念ながら平安時代の遺構は少ないため例を挙げることはできないが、かなりの数の黄金の建物があったはずだ。

 

 

黄金には独特の魅力がある。千利休も黄金の茶室と茶道具を考案したくらいだから稀代の目利きもその魅力を認めたことになる。その輝きには色を超越した何か「力」というか、神秘的な「魔力」が潜んでいる。心に高揚感を増幅させる作用や、人をひれ伏させる威圧感もあり、黄金が主役の時代は国全体が豊かであったような気がする。

 

京都の名跡「金閣寺」も室町幕府の全盛期に「足利義満」が創建した寺であるが、池に浮かんで見えるように建てられた、その優美さは京都の名所旧跡の中でもひときわ異彩を放っている。

 

 

実は私も黄金に憧れる一人である。「辻ヶ花」を産んだ、活力に溢れ魅力いっぱいの時代に共感しているのか、それとも黄金の中に身を置き末法から逃れ極楽浄土を体現する平安仏教に憧れているのか。