以前に若松柄の訪問着で辺りに漂う空気を表現してみたことはブログでも紹介した。マズマズの出来栄えに上機嫌の面持ちであったが第2作目「杜若」図の訪問着が堂々(?)完成した。
情景を説明すると杜若が咲き乱れる池(京都では大田神社の池)に朝もやが立ちげぶり静謐な景色に思わず佇むといったところ。
きものの歴史の中でも空気感を表現したものは見たことがない。雨や雪を表したものは数多くあるが、空気そのものを表現するものとしてはたなびく雲か霞くらいのもので、等伯の松林図のような精神性を問うものは染色の世界では見た記憶がない。
きものはご婦人にとって身に纏い自分を綺麗に見せてくれるもの、しかも何十年も飽きがこないものという捉え方だろうが、作り手からすればロマンであり頭に描いたイメージを染めの技法で表現したいと願いながら作る、勿論着る人のことは十分考慮しているが。
売れるとわかっているものだけを作るならそれは「業務」であって自分の一生を賭けるには物足りない、かつて見たこともない物を作りたいと願う心がきものをより魅力のあるものにしてくれる。