今回は私の師であり、第二の父でもある第五三〇世大徳寺住持、
泉田玉堂の著書、”禅茶禄”をご紹介しよう。
泉田老師とは御年80過ぎになる禅を極めた正に高僧である。
28歳で得度しその後大徳寺で修行を重ね、各地を歴訪・参禅し50過ぎの頃
奈良の大徳寺塔頭「松源院」の住職となった。
その後2012年大徳寺において視篆開堂(してんかいどう) の儀式を執り行い、
大徳寺第五百三十世住持となり、現在は年に数回京都で提唱を行っている。
さて、その彼がまた新たに筆を下し、めでたく出版されたのが禅茶禄である。
この書をご紹介するにあたり、私の拙い言葉では失礼極まるので彼の言葉を
お借りして紹介していく。
禅茶禄
「禅茶禄」とは”禅”と”茶の湯”について、この二つが相即相入し渾然一体となったところ、
すなわち茶禅同一身味を禅茶の二文字に凝縮し、千利休から230余年後の文政11年、
東京書肆、須原屋茂兵衛によって板行された、寂庵宗澤が茶の湯の精神と理念とを、
10項目にわたって論を展開したものである。
侘茶を完成させた千利休以後、江戸時代の文化それぞれの爛熟期になると、
茶の湯の人口は一段の増加をたどったがその反面、利休が仏法修行というほどに
断言した茶の湯の精神は、堅苦しきもの、心苦しきものと捨て去られ、大きく
逸脱して遊興にその姿を崩していった。
(以後省略)
禅茶禄とは、もう一度、茶の湯の根本に立ち返ろうとする、いわば返本還源の啓蒙書である。