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ぎをん齋藤スタッフによる、染めに関わるウンチク+京都な日々をお届けします。敷居の高い印象を持たれがちな弊店を、少しでも身近に感じて頂ければ幸いです。

歴史の勉強

何かいいニュースはないものかと日々悶々としてますが、

「いやいや、こんな時こそ気が紛れる話題をこちらから発信せねば!」と一念発起です。

なかなか外出しにくい、でも着物は見たい、という声もいただきますからね。

こんなときこそblogでございます(*^^)v

今月の「着物と帯」でも当blogに話題を振っておきながらその件未着手でしたので、

ここぞとばかりにょっとマニアックな話題、「遼代裂」のウンチクを以下に掲載しようと思います。

「遼代裂」とは読んで字の如く、「遼の時代の裂」。

上の画像は2020年3月の弊社HP「着物と帯」にも紹介した遼代裂金襴白鳥の袋帯の一部を拡大したもの。

なるほど、なんだか凄そうだと思ってもらえれば嬉しいですが、「遼」ってなんぞや、と思った方も多いかと思います。

ぎをん齋藤当主のコレクションをまとめた「布の道標」に歴史年表があったので、その画像を下に添付しますが、「遼」は916年から1125年頃まで中国の北辺を支配したモンゴル系遊牧民である契丹人の王朝です。漢族以外に支配された王朝を征服王朝といいますが、「遼」はその最初の王朝。

遊牧・狩猟を主とした征服民族と、中華民族の文化的な接触がおこった時期がこの「遼代」という訳ですね。

そもそも、この「遼」の直前に滅んだ「唐」は日本にも影響を与えまくった国です。

「白紙(894年)に戻そう遣唐使」の、あの「唐」。遣唐使を廃止して日本はいわゆる「国風文化」と呼ばれる、日本独自の文化が発達する時期に入りますが、国風文化の代表格には「源氏物語」が挙げられます。

「遼代」は日本の源氏物語と同時代ですよ~というと当時の世界観も掴みやすいかもしれません。

そうした時代背景をおさえてもらったところで、「遼」そのものについて掘り下げます。

 

「遼」は先述の通り、モンゴル系遊牧民である契丹人の国。漢民族の中国文化と入り混じる中、遊牧民としての伝統を維持すべく、と言うべきか、そもそも一か所にジッとできない質だったのか、「遼」の歴代皇帝は常に都城にいて政務を執った訳ではありませんでした。季節ごとに移動を繰り返し、春夏秋冬に従って捺鉢(ナパ)という行在所を設け、各地で狩猟・漁労生活を送ったのだそう。遼王朝が狩猟文化を如何に重んじていたかが窺い知れますね。

春秋の狩猟は「春水」や「秋山」と呼ばれ、

【「春水」の服は鶻(ハヤブサ)が鵝(ガチョウ)を捕らえる文様、「秋山」の服には熊や鹿、山林を文様にした】

と「金史」輿服志にはあります。

ムムム、ゴールが見えてきましたよ笑。

「春水」の文様でピンときましたでしょうか。実はこれが今回ご紹介した遼代裂の本歌なんです。

冒頭の画像、白鳥(=鵝)にばかり目が向きがちですが、この金襴の最上部にハヤブサがいることにお気付きだった方はすごい。大城は初見からしばらくの間見落としてました苦笑。この取り合わせがまさに「春水」なんです。ただなんとなく白鳥が描かれていた訳ではなく、当時の狩猟文化・生活スタイルがこの金襴には凝縮されているということになります。こういう歴史を知るとまた一層奥深い品、袋帯に見えてくるのは大城だけでしょうか…笑。

そのオリジナルの裂が米国のメトロポリタン美術館に収蔵されていますので、その画像も以下に掲載しておきます。

ここまででも結構お腹いっぱいになる内容かと思いますが、話はもう少しだけ続きます。

金襴上部の鶻(ハヤブサ)にまつわるストーリーです。

このハヤブサ、「海東青(カイトウセイ)」といいます。名前だけでも男子的には「カッコイイ!」となりそうなもんですが、ちゃんと意味もありまして、「海東」というのは中国の沿海州方面を指します(上地図青線部参照)。「青」は「青骹(セイコウ)」の略で青い脛の鷹、の意味。非常に稀少な種で、遼の王侯貴族はこの「海東青」を鷹狩に愛用していました。

ここでまた歴史の勉強に戻りますが、この沿海州辺りにはかつて「渤海(ボッカイ)」という、ツングース系狩猟民族の国がありました。先の年表からもわかりますが、この渤海はモンゴル系狩猟民族の契丹に滅ぼされ、遼王朝の支配下に置かれています。上の地図にも(女真)とありますよね。この女真族がツングース系の狩猟民族で、先にネタ晴らしをしてしまいますが、後に遼を滅ぼして「金」を建国する民族なんです。年表でも「遼」の後には「金」が続いている流れが見てとれます。

 

遼はモンゴル系狩猟民族。

鷹狩りを好み、最高級品種である「海東青」を所望。

支配下にある女真族にその献上を命じ、収奪の限りを尽くす。

女真族怒。

遼にリベンジ、「金」を建国!

 

「海東青」の生息域は、この「女真族」の勢力圏と概ね重なっていた訳ですが、「海東青=女真族(金)」と見た場合、「春水」にて身に纏った衣装というのは、まるで金が遼を滅ぼすことを暗示していたかのようですよね。

掘り下げれば掘り下げるほど面白い。こんなアプローチで世界史を学んでいたら、学生時代もうちょい成績良かっただろうなぁとぼんやり感じております笑。

ウンチク記事、書いてみるとやっぱり楽しいですね。

世間はこんなムードですし、大城は今のうちに爪をしっかりと砥いでおくことにしましょう。

明るいムードになったらウンチクにまみれた鬱陶しい接客をご披露致します笑笑。

目指せぎをん齋藤の海東青(”ω”)ノ!!