ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。

◆お問い合わせ
ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

祖父

普段、ご先祖様には毎朝仏壇に手を合わすぐらいで、たいして特別なことをしている

訳でもないのにまた祖父の夢を見た。

特段何かのお告げらしいものはない、いつもの着物姿で現れしゃべるこもなく消えていく。

折角出てきてくるならもう少し為になるようなことをしてほしいと思うのだが、、、

今回は右側の口元に大きな”ほくろ”があったのに改めて気付き、

懐かしくなったいい夢だった。

私の祖父、先々代(齊藤正二郎)は次男坊だったが、長男が病気で早くに

亡くなったので家業を引き継ぐこととなった。

遺伝なのか若いうちは身体が弱く、母のハマさんはえらく心配していたそうだが、

私が知る限りでは毎日近所の床屋で髪を整え、慣れた手つきで着物を着て

店先の古い机で煙草をふかし、目が合うと「あんた角(かど)いって煙草こうてきて」

と小銭をバラバラくれるような老舗の旦那らしい、ゆったりとした趣のある人であった。

当時、店の屋号は齊藤呉服店と名乗り、今も行燈にあるように”御染め物いろいろ”、

花街などのお誂えや悉皆(お手入れ、お直し)を一手に引き受けていた。

昔は車などなく、市バスか歩いて通える範囲が商売の中心だったので祇園街周辺と

先斗町、北は上七軒辺りまでの”御用聞き”を番頭に荷物を持たせ、

置屋さんをまわって商売していた。

当時の廓といえば戦後の全盛期、海外の要人も含めVIPが集まる社交場であり、

また選ばれし者しか入れない特別な地域だった、それ故しきたりは特に厳しく、

”もの”を知らないと勝手口さえ通してもらえなかった時代である。

しかし祖父、正時二郎さんはひいばあさんに叩き込まれた生粋の商売人、

花街を相手に持ち前のセンスと器用さで祇園の齊藤さんと一目置かれる存在で

あったと父からも聞いている。

そういう訳で、今の屋号に堂々と”ぎをん”と付くのも納得がいく。

余談になるがそんな粋なおじいさんに誘われ、幼い時私と兄はよく近くの神社まで

”お千度参り”にいったのを覚えている。

南無阿弥陀仏とお経を唱えながらお堂の周りを何度もぐるぐるとまわり、

千度詣と書いた木箱に竹串を投げ込むのだが、そのうち何回まわったかわからなくなる。

子供からすると疲れるだけで何の面白みもなかったが、その帰り道、四条縄手に当時

あったおもちゃ屋”あやき”に連れて行ってもらい、お参りしたお駄賃として好きなものを

買ってもらえるのが楽しみだった。

そんな優しいことろもあったおじいさんだったが、さすがに店先で遊ぶと物凄い剣幕で

怒られた。子供相手にそんなに怒らなくても、、、と本当に思ったが、

そこはやはり京都の商売人、今でこそ理解できる厳しい一面でもあった。