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ぎをん齋藤スタッフによる、染めに関わるウンチク+京都な日々をお届けします。敷居の高い印象を持たれがちな弊店を、少しでも身近に感じて頂ければ幸いです。

疋田

「京坂にてひった鹿の子(カノコ)と云うは江戸にて総鹿の子(ソウカノコ)

江戸時代後期の風俗について喜田川守貞がまとめた「守貞謾稿」にある疋田鹿の子絞り・総鹿の子絞りに関する記述です。

地域が異なれば当然呼称も変わりますよね。

疋田(ヒッタ)は関西圏由来の呼び方ということになるのでしょうか。

何の気なしに私も「ここの疋田が~」とお客様に説明して、「ヒッタってなんですか?」と聞き返されることがあります。

その度に「ああやってしまった舌足らず」と反省。

あんまりクドクド解説的になってもお客様はウンザリしてしまうかと思いますが、

なんだか専門用語・業界用語をツラツラ並べ立てる感じの喋りはしたくない、という大城の小さなこだわり。

blogは随分鬱陶しいぞという声がどこからともなく聞こえてきそうですが苦笑、ここはいいんです。

ここぐらい好きにさせてください笑。

 

話逸れましたが、「疋田」と言えば、基本的には鹿の子絞り(カノコシボリ)の柄のこと、と思っていただいて間違いないです。

こうなると「鹿の子(カノコ)」の柄ってなんだ、と芋づる式にクエスチョンが続いてしまいますね(-_-;)

「鹿の子」は書いて字の如くでして、小鹿の背中にある斑点に見た目が似ていることから「鹿の子」柄と呼ばれています。

その疋田鹿の子絞り、相当手間がかかることは想像に難くないかと思います。

なにせひとつひとつ指先で絞っていくわけですから。

それはそれは贅沢な仕事なので、江戸幕府の御上にも目を付けられまして、

1683年、この疋田鹿の子絞りを町人が着用することは禁止されてしまいます(奢侈禁止令)。

いつの時代も職人さんは大変です(´;ω;`)

ただ、この時代の逆風を逆手にとって躍進を果たしたのが、「型置き師」の手による「摺疋田」という技法でした。

これまで絞りで表現してきた鹿の子柄を、型紙を使って刷り出そう!というものです。

下画像はその型置師(カタオキシ)を描いた絵で、板の上に張った反物に型を用いながら柄を摺りだしている様子がうかがえます。

これはこれで神経を使う大変な仕事なのですが、総絞りほどの仕事量ではない訳です。

奢侈禁止令の禁止対象品には含まれず、いわば抜け穴の染色技法として広く隆盛しました。

(ここでは掘り下げませんが、宮崎友禅斎の時代とこの辺りはキレイに重なります。)

ぎをん齋藤でもこの「摺疋田(スリビッタ)」を扱っています。

先日、大城も注文中の疋田の色目を確認したくて久しぶりに工房にお邪魔いたしました。

出迎えてくださる職人Kさんは技法について1を聞くと10ぐらい返してくれる方です٩( ”ω” )و

実は今回の記事もそのKさんの熱量に触発されてのものだったり笑。

いつもありがとうございます!

ただ、ここまでの書き振りを読み返すと、「摺疋田」がまるで簡単な仕事のような誤解を招いてしまいそう。

そこはしっかりとKさんの名誉のためにも次回以降に修正して発信させていただきたいと思います(; ・`д・´)キリッ!

という訳で、まずはここまで。

次記事に続く。

 

 

ぎをん齋藤 大城

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