ぎをん齋藤と祇園祭り
7月1日に四条八坂神社の本殿で吉符入りから始まった祇園祭も、本日後祭りの巡行が滞りなく行われ、
京の夏の祭事が無事に終わった。
祇園祭というと”コンチキチン”と調子のよい祇園囃子が耳に心地よく、これを聞くとさあいよいよ夏の京都が始まる!
という気分になるのは京都人以外の方も同じではないだろうか。
毎年お祭り騒ぎの祇園祭だが、山鉾巡行は”ユネスコ”にも登録された「世界無形文化財」でもあり、
この祭事の起源は約1200年前、平安時代前期、869年に遡る。
当時、京都で流行った疫病を鎮めるために神泉苑で66本の矛(ほこ)をつくり、八坂神社で祈願したことが始まり
とされる歴史ある厄払いの祭事だったのが、いつのまにやら「祇園祭=浴衣とお祭り」という風潮になり、
いいのやら、悪いのやら、、、我々もその恩恵を少なからず受けていることには変わりはなく、複雑な思いでもある。
さて今回の祇園祭、もう一つ大きな意味があり、実は烏丸の蛸薬師通りに建てられる「橋弁慶山」の牛若丸の衣装を
3年前にある方から依頼を受け、齋藤織物で袋帯の生地を約5本使用し新調した。
袋帯:遼代裂金箔雲鶴文(10世紀遼時代の王族の墓から出土した裂図)
そしてこのコロナ禍、ようやく今回が念願の初お披露目ということになった次第である。
以前の衣装は明治初期頃の物で、生成りの糸と金糸を使い優雅に手織りで織り上げられ、
金糸は唐草文様を表現しその素晴らしさは一目でわかる、そして約200年以上経った現在、それを我々が継承し、
衣装を制作するということが、どれほど光栄な事か一言では表現できない。
この1200年以上経つ長い歴史の一役に立てたこと、我々のもの作りがこれからまた数百年残ること、
次に新調する時、それを請負う者が我々の作品をどう感じるか、、、、
もうこの世にはいないが、上からじっくりと感想を聞きたいものである。
後祭り7月24日午前9時30分~