先代の教え / 

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筆 : ぎをん 齋藤

物作りの要諦がこの歳になって少し分かりかけてきた。

若い頃は物が見えず「いいもの」か「悪いもの」かの区別がつかず、不安を抱きながら手探りでものを作ってきたと記憶する。例えば職人の技量が計れず、工賃が適切かどうかの判断ができないまま指示してきたような気がする。

結局、売れたものが「いいもの」で売れなかったものが「悪いもの」だという変な結論がでてしまった。それでも物作りを止めずに現在までどうにか継続してこれたのは幸運であったとしか思えない。

ようやくこの数年、自分が「これだ」と思ったものに徹して作っていく姿勢が人の共感を呼び起こすもとになっていると気付くようになった。

つまり「徹すれば通ず」なのである。逆に特定の人に気に入られようとして作ると魅力を失うことになる。

昨今の風潮で消費者のニーズに応じて価格設定をして物作りをすることが大切だと声高に叫ばれ、その結果、似たよう物が似たような価格で販売され総じて個性的で魅力のあるものが少なくなった。私など巷で売られているもので、どうしても欲しいと思うものが少ないのは寂しい。

昨今の情報過多時代に販売力だけで生きていくのは難しく、自己の主張をはっきりさせて、物作りをし、しかも徹することが大切なことであろう。

筆 : ぎをん 齋藤