最近また「辻ヶ花」の事を雑誌社や消費者に尋ねられることがある。 確かに以前から私も江戸時代のものより室町、桃山時代の裂の方が好きだと言ってきた。 じっくり理由も考えずに直感で主張してきたのだが、最近「はまっている」摺箔を研究していくと、 室町時代が日本の染色の萌芽期にあたると気づかされた。 日本固有の和文化が大成されたのは平安時代である事には依存はないが、物証が無いから想像するしかない。 こと染色に関しては矢張り熟成度からして室町時代が最高の時代だと思うようになった。 その訳は漢字が平仮名の元となって出来たように、 平安時代の文様も奈良時代の唐風を和様化した程度のことであろうと推測する。 摺箔にしても辻ヶ花にしても爛熟した物証が現存するのは室町末期だから、 それより古い時代には感激する様なものは無かったかも知れない。 それが江戸期に入ると突然魅力がなくなるのは何故だろうか? 私の結論は江戸期に入ると商人の懐にお金が集まり、それを狙って染物屋が売れるものを大量に作り始めたから 「売らんかな」意識が前面に出てしまうのが作品の魅力を無くす原因になったと推量する。 江戸期に入った着物や帯は形も技法も現代のものと何ら変わらない。 それに比べると室町、桃山の物は職人が楽しんで作っている感じが伝わってくる。 時には豪快な即興的模様を配置、時には繊細すぎるくらいの細い線を根気よく描く。 時代背景は明日の命も確かではない混沌の中で精一杯やろうとする人間の気迫が感じられる。 今の平和な時代、急にウイルスに命を脅かされる突発事故が起き、死生に直面したとしても、危機感が日常となって暮らしていた室町時代の人々の熱気とはレベルが違う。 そして平和を願う現代社会は危機が去れば、また商業主義一辺倒な物作りが再開するだけである。 資本主義は金の魔力で人を翻弄し、人をさらに強欲にしてしまう。 筆 : ぎをん 齋藤