一見何の関係性のない言葉だが、よく考えると類似点を見出すことが出来る。
江戸時代にも宗門争いと言って、学者や僧侶が、いかに自分の信じる宗派が相手より優れているかを議論することがなされてきたが結局、優劣の決着をみることはなかった。
同く美学においても、狩野永徳と長谷川等伯のいずれが勝るかの論議も盛んであった。(画像上のものが狩野永徳 四季花鳥図右隻、下のものが長谷川等伯 松林図左隻)
自分が信じる美が、相手の主張するものより素晴らしいと論議してみても、どこまでいっても平行線で終わるのは、美人コンテストで優勝者を決めるのとおなじで「好み」の問題である。
宗教は、手段は違っても救いを求める弱い人間を救済することに目的があって、優劣を競うものではない。まして宗派間の争いで、血が流されるのは本末転倒も甚だしい。ただ信徒や僧侶は、自分の信じる宗教を唯一無二だと信じることは必要で、それでなければ布教活動は上手くいかない。
美の世界も、我が社で働く者は、私が作るものを唯一無二のものとして信じてもらわなければ、お客様に自信を持って勧めることは出来ない。