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筆 : 齋藤 康二

以前からAI(人工知能)の話題は大きく取り上げられているが、昨今その開発スピードには目覚ましいものがある。

AIはよく言われるように自ら性能を向上させることができるいわゆる自己学習能力型で、

その主な特徴は翻訳や推論、問題解決など、知的処理を人間に代わって行う人工的な知能のことであり、

この前もニュースで騒がれていたが、身近なとこでは最近話題となっている「チャットGPT」がそのひとつ。

実は、ある知人からこれが話題になる前にこのチャットを教えていただだいていたので、

いろいろ試しに検索してみたがとても私の手に負える代物ではないことはわかった。

慣れないせいもあるがその情報量とスピードは異次元で、一つの検索から次々と機械的に繰り広げられる

その内容は表現的には冷めた文章だが、目で追うだけでもたいへんなくらい脈々と書き込まれていく。

ネット社会が当たり前となった現代において、その情報処理能力が追い付いていないとされるこの世界に、

また新しく今度はAIというとてつもない未知なる人工知能が導入され、すべてをコントロールされると想像すると

次はどんな世界が出来上がり、我々人間はどう生きていくのだろうか、わくわくするが、本当に恐怖も感じる。

一部の技術者はAIに消極的な意見を持っており、その開発を止めるべきであると言っているのもよくわかる。

しかし、一旦動き出したこの大きな流れは止まることはないだろう。

何故ならその魅力のほうが恐怖より優っているからで、人類は何百年も前からそうやって

犠牲を伴って進化してきたといっても過言ではない。

その犠牲となる兆候はすでに始まっており、例として「AIに奪われる仕事」がそれに当てはまるのではないだろうか。

これからの世界はあらゆるものが機械化され、仕事場から人が消えていくことになるかもしれない。

そんな環境になりつつある世界を背景に考えると、人が感性をもとに0(ゼロ)から作り出すもの、

また人にしかできない表現や思考、創造というものはAIが進化すればするほど失われてはいけないもの、

表裏一体として同じように残していかなければならないものである。

私の仕事は0(ゼロ)からものを生み出すこと、感性をもとに想像しそれを具現化していくことであり、

けしてコンピュータのように1+1=2ではない、言い換えれば1+1=無限であり数値化できない、

機械化されない世界であると確信している。

先日も今手掛けている織名古屋帯菊唐草文の刺繍が出来上がったので職人のところまでそれを見にいったが、

その質感や配色はAIのような1+1では到底真似できないものと自信がある。

それは感性と感性がぶつかったところ、その狭間で出来上がった産物、けして計算から導き出されたような

無機質ではなく、そこには偶然性と必然的なものから成り立つ無限の組み合わせがあり、

だからこそ終わりのない楽しみも感じ取ることができるのである。

:朱地織名古屋帯菊唐草文

 

 

 

筆 : 齋藤 康二