1947年のパレスチナ分割決議を経てユダヤのイスラエル建国宣言から戦闘は激化し、アラブ系住民は居住区を失い
ヨルダン川西岸地区やガザ地区へと追いやられた。
イスラエルの侵略と居住区の占領、過激な行動に対する不満の末、多くの犠牲者と難民を出してきたパレスチナ問題。
オスマン帝国から独立したアラブ人と、ホロコーストによるヨーロッパから差別や迫害を受けてきたユダヤ人、
人種が入り混じった植民地の対立は長い歴史と共に”かなわぬ平和への願い”として今に至る。
そしてまた今年10月にイスラム組織がイスラエルに奇襲攻撃をし、ガザ地区の中心一帯がイスラエルのミサイルに
よって破壊され、約9000人以上の住民が犠牲となりその約65%が女性や子供という悲惨な戦況となっている。
「天井のない地獄」と呼ばれていたガザ地区でなんとかその日暮らしをしていた住民が今回の”報復”でまた犠牲となり、
布でくるまれた幼い子供を抱いて走り回る大人たちや、砂埃の中から血まみれで掘り出される犠牲者の映像を見ると
何と悲惨で非情な行為を繰り返しているのだろうと、日本という平和ボケした国で暮らしている私は痛々しい
ニュースを画面越しに今起こっている事実を受け止めるしかない。
到底、彼らの長い悲惨な歴史における迫害や犠牲、宗教や人種による差別や憎しみといった事情は当事者にしか
理解できないであろう、民族の勝利のため、宗教への尊厳、また血で血を洗う戦争は何度も繰り返されるというが、
例えば200年前のような手作りの鎧を身に着け、槍や刀や鉄砲で敵味方が交え野原を走り回る戦争とは訳が違う。
近代兵器の開発は目覚ましく、化学兵器や核兵器のような国そのものを消滅できるようなものまで登場している
現代の戦争は、必ず多くの犠牲者が出る「無差別的な戦争」といっていいほど新型兵器で街を一掃するのである。
もはや虐殺行為にしか見えないのが今の戦争。
血をみるのは弱者でトップはアイロンのきいた制服を着て逃げ切るのが常套手段、こんな不条理なことが簡単に
起こってしまう世の中、バカな話になるが国のトップ同士が数名トーナメントでやり合うという案はどうだろうか。
それを冷静に傍観してみたいものである。
兎にも角にも平和が一番、ガザ地区を含め世界で起こっている血には血をという戦闘行為はもはや何の意義や定義もなく、
勝ち負けのない損得だけの個人的なエゴイズム、野蛮行為でしかないと思わざるを得ない。
失われる多くの犠牲は、取り返すことのできない何よりも価値のある美しいものだといつになれば気がつくのだろうか。