女将の思い出 / 

BLOG / OKAMI /

筆 : 女将

私が四十歳のころ、主人が制作を受け持ち、私が営業販売する体制で、この「齋藤」が走り出すことが決まり、いよいよ東京方面へも出向き始めました。まず手がかりは、先代・井上八千代様より御紹介いただき、義父が毎月お伺いしていた、東京六本木にお住まいの地唄舞の大家、武原はん先生宅へ参上致しました。

当時先生は八十三歳でいらっしゃいましたが、実に美しく、謙虚に年齢を重ねて来られたお姿に感動致しましたことを覚えております。

早朝、私は六時半発の新幹線に乗る為、まだうす暗い四時半に起きて着慣れない着物を着付けて家を出ますと、武原先生のお宅へ十時半ころにお伺いすることが出来ました。ご自宅のエレベーターで六階で降りると、白檀の香りが玄関いっぱいに漂い、私は一気に緊張感が高まり、足がぶるぶると震えます。丁度、先生は朝食兼昼食をされていらして「あら、よく来たわね!」と柔和な笑顔を返して下さって、やっと私は救われた思いです。

私は先生の横に座り京都のお話をして差し上げると、大変喜んで下さいました。先生は関西のご出身なので、私の話にお若い時のご自分を重ねてきっと懐かしく思い出されたのでしょう。

武原先生は主人の作風をとても評価して下さり、二人の感性も一致して「着物もね、生地や柄にこだわりが無いとつまらないわ!」と常々おっしゃっていました。先生は必ず主人に対して次回の宿題を出して下さいまして、それによって主人もご要望にお応えできるよう更に努力して参りました。

先生の魅力は、舞姿は勿論ですが、先生の「懐の深さ」とでも言うか、まず相手を無条件で受け入れて下さる…そして説いて下さる優しさと厳しさとでも言うのでしょうか…性別・年齢を越えて先生の包容力で温かく見つめて下さるのです。そんな先生が毎朝夕のお経や般若心経の写経に精を出していらっしゃるお姿を思い出します。

ある時私に「これ持ち帰ってお父さんのお仏壇にお供えしてちょうだいね」と渡されたのが、先生のお書きになった二枚の写経葉書でした。その日は義父の命日で、先生が覚えてくださった事に大感激!大感謝でした。

そんなお伺いが数年過ぎた折に先生が私に「東京で展示会をしないの?」と尋ねられ、私が即座に「場所がないのです」とお伝えしたところ「あら、じゃあ五階の私の舞台と座敷を使いなさいよ!」と思いがけないお言葉をいただき、私は嬉しさの余り小躍りして京都へ帰り、主人に伝えました。
あれから三十五年、毎年春の三月には先生のお宅五階で展示会を続けさせていただいております…今年の三月も。

そんな出逢いとチャンスは生涯に一度しかないでしょう。私にとって武原はん先生は「人生の生き方」の師匠でした。

筆 : 女将