ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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展覧会への偽らざる気持

6月の古裂展観まで一月余りとなり、展観作品の打ち合わせを細見美術館と行なっている。

古裂は全て陳列するが、他にも古裂を利用した現代のきものや先祖が残した「神坂雪佳」肉筆のきもの下絵、作者不明の墨絵などを、どう展観するか学芸員の腕の見せどころである。

実のところ私自身は今回の展覧会を光栄に感じると同時に、反面おもはゆく思っている。

40年余かかってようやく蒐めた私の汗の結晶であり、分身のようなものを皆様にお目にかけるのは皆様の前で裸になるような、そんな気恥ずかしさが先に立つ。

これと同じ気持ちを抱くのは、ぎをん齋藤のきもの、帯を身に付けたお客様と会ったときも同じである。別の例えにすれば、自分が書いた文章を読むのは鏡で自分の顔を眺めたような気分で照れ臭い、きもの、帯を見せられると私の人間性をさらけ出したようで恥ずかしくて冷静ではいられない。

こんな事を感じるのは私だけだろうか?想を入れ込んで一つ一つ作る作業は自分の分身を作る作業なのだろうか。