ぎをん齋藤
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齊藤康二

齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
◆お問い合わせ
ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

三ツ星のおもてなしを目指す

先日、遠方から若いお客様が3名来られた。

京都観光の初日にも拘らず、真っ先に予約をとって朝早くから来られたことを思うと、

よほどの着物ファンだったのだろう。

ご存じのように当店は典型的な京町屋の商売、よく目にするショールームはなく軒先には

齋藤の暖簾と行燈がかけてあるだけで、一見何屋か見当も付かない緊張する店構えである。

まして若い方には暖簾をくぐるのも勇気がいっただろうが、それでも遥々よく来てくれたとこちらは大歓迎である。

それから小一時間、着物を前に会話も弾みお帰りになられたが、実は普段も着物を着られる

上級者で、知識もあり、よくものを見ていたので感心した。

昨今、コロナ禍で着物需要はめっきり減少したが、このような若い世代の方々が着物に興味を持ち、

高価なものと承知の上”こういうのが着たい、この色目が素敵!”と自分に重ね合わせ、

将来を思い描いてくれたことがとても印象に残り、私にとっても新鮮な時間であった。

よく社内でも接客について意見を交わし、最善のおもてなしを心掛けるようにしている。

それはあれやこれや、無造作に商品を畳一面に広げることがおもてなしではない、

お客様が見たいもの、本当に望んでいるものを会話の中から探り当て、これぞ!という品を

タイミングよく出してくるのが京都の商売、老舗本来のやり方である。

打てば当たる方式で、数だけ見せて選んでもらうという単純なものではない。

おもてなしという曖昧な表現の裏には人の心を打つ”感動”がないと本物の客商売とはいえないのである。

我々はミシュランの三ツ星を目指していく。

(三ツ星:そのために旅行する価値のある卓越した店)

 

 

 

 

 

祖父

普段、ご先祖様には毎朝仏壇に手を合わすぐらいで、たいして特別なことをしている

訳でもないのにまた祖父の夢を見た。

特段何かのお告げらしいものはない、いつもの着物姿で現れしゃべるこもなく消えていく。

折角出てきてくるならもう少し為になるようなことをしてほしいと思うのだが、、、

今回は右側の口元に大きな”ほくろ”があったのに改めて気付き、

懐かしくなったいい夢だった。

私の祖父、先々代(齊藤正二郎)は次男坊だったが、長男が病気で早くに

亡くなったので家業を引き継ぐこととなった。

遺伝なのか若いうちは身体が弱く、母のハマさんはえらく心配していたそうだが、

私が知る限りでは毎日近所の床屋で髪を整え、慣れた手つきで着物を着て

店先の古い机で煙草をふかし、目が合うと「あんた角(かど)いって煙草こうてきて」

と小銭をバラバラくれるような老舗の旦那らしい、ゆったりとした趣のある人であった。

当時、店の屋号は齊藤呉服店と名乗り、今も行燈にあるように”御染め物いろいろ”、

花街などのお誂えや悉皆(お手入れ、お直し)を一手に引き受けていた。

昔は車などなく、市バスか歩いて通える範囲が商売の中心だったので祇園街周辺と

先斗町、北は上七軒辺りまでの”御用聞き”を番頭に荷物を持たせ、

置屋さんをまわって商売していた。

当時の廓といえば戦後の全盛期、海外の要人も含めVIPが集まる社交場であり、

また選ばれし者しか入れない特別な地域だった、それ故しきたりは特に厳しく、

”もの”を知らないと勝手口さえ通してもらえなかった時代である。

しかし祖父、正時二郎さんはひいばあさんに叩き込まれた生粋の商売人、

花街を相手に持ち前のセンスと器用さで祇園の齊藤さんと一目置かれる存在で

あったと父からも聞いている。

そういう訳で、今の屋号に堂々と”ぎをん”と付くのも納得がいく。

余談になるがそんな粋なおじいさんに誘われ、幼い時私と兄はよく近くの神社まで

”お千度参り”にいったのを覚えている。

南無阿弥陀仏とお経を唱えながらお堂の周りを何度もぐるぐるとまわり、

千度詣と書いた木箱に竹串を投げ込むのだが、そのうち何回まわったかわからなくなる。

子供からすると疲れるだけで何の面白みもなかったが、その帰り道、四条縄手に当時

あったおもちゃ屋”あやき”に連れて行ってもらい、お参りしたお駄賃として好きなものを

買ってもらえるのが楽しみだった。

そんな優しいことろもあったおじいさんだったが、さすがに店先で遊ぶと物凄い剣幕で

怒られた。子供相手にそんなに怒らなくても、、、と本当に思ったが、

そこはやはり京都の商売人、今でこそ理解できる厳しい一面でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転禍為福

2019年12月、中国の武漢市で第1例目の新型コロナ感染者が報告されてから

数カ月で世界的なパンデミックとになり、感染者数は5.16億人、死者数は624万人

と無限に膨れ上がった現在も、その猛威は止まる気配はない。

思えば武漢市で一人の感染者が発見された時、誰がこのような大災害を

予測することができたであろうか、少なくとも楽観的な私は当時想像もしていなかった。

そして先週、2022年のゴールデンウイークは数年ぶりに活気を取り戻し、

人々は観光地まで足を延ばし休日を楽しんだ。

久しぶりの解放感にやっと日常が戻ってきた、と思えた人も多かったのではないだろうか。

一方政府は解放感に浸る世間を横目に国際情勢を考慮し規制緩和を推し進め、

徐々に川の堰を外し経済を回し始めたが、それで事が進むとは到底思えない。

規制緩和に反対はしていない、言い方は悪いが金魚の〇〇のように世界の国々の

後追いをし、何のエビデンスも示さないことに違和感を覚える。

まして現在のワクチン担当大臣の顔もすぐに頭に浮かばないようでは困ったもので、

岸田政権もコロナ関連の情報提供を明らかに差し控えているようにしか思えない。

これまで日本も含め世界が未知との遭遇のような新型ウイルスと戦ってきた結果、

敵の”データ”は十分に蓄積されたはずであり、それをもとに政府は今まで我慢を

してきた国民に新たな情報や、次に備えるための安心安全対策マニュアルを

明確に提示すべきである。

災難を上手く活用し役立つものにしてもらわなければ、苦汁を飲まされただけでは

納得いかないのは世の常というもの。

(2020年5月当時の祇園界隈)